●戦後の国際秩序は「復讐のサイクル」を遮断するためにつくられた
―― よろしくお願いいたします。
船橋 よろしくお願いいたします。
―― ぜひともお伺いしたいのが、今、世界の秩序がものすごく変容しているというか、激変期に入ってきているということについてです。ぜひ、先生なりの見方を教えていだたければと思います。
船橋 なかなか難しいですね(笑)。世界の秩序は、アメリカが戦後つくってきたものです。特に大きかったのは、サンフランシスコ講和条約じゃないかと思います。1951年に49カ国、日本を除くと48カ国で講和をしたわけです。その時、アメリカ側のジョン・フォスター・ダレスをはじめとする人たちによってつくられたものは、第1次世界大戦後のヴェルサイユ講話条約に何らかの形で非常に関係しています。
ヴェルサイユ講話条約は戦争の後、「平和をつくるんだ」という意気込みで取り組んだものだったのですが、結局その後ナチスが台頭して、「危機の20年」といわれるように、もう一度戦争を招いてしまいました。アメリカにとって、その慙愧(ざんき)の念というか、反省というのはやはりものすごくあって、それを教訓にすると、復讐のサイクルをつくっちゃいけない、ということになります
―― 「復讐のサイクルをつくっちゃけない」ですか。
船橋 それまでは勝ったか負けたかが全てでした。勝った方は負けた方から賠償金を取り立てる。お金が払えなかったら、その代わりに何か資源を確保したり、進駐軍を出して、その地をさらに確保する。そういうことをしたわけです。ラインラント進駐にしても同様です。しかしそうした結果、ドイツは結局、賠償金を払いきれなくなってハイパーインフレーションを起こし、中産階級が脱落してナチスが台頭しました。
そのため、サンフランシスコ講和条約の際に、アメリカは日本に対し、「日本は確かにものすごく侵略したので、アジアの国々に対して賠償の義務はありますよ」ということを確認しつつ、「ことアメリカと日本の関連についていえば、われわれは賠償を取り立てないですよ」と言ったのです。「日本もいろいろ、アメリカとの戦争で損害を被っているから、日本の請求権だってあり得えるんだけど、それはお互いやめましょう」、ということです。こうして請求権を相互で放棄しようというのが、サンフランシスコ講和条約の一つの大きな発想、思想、...