●今日のアメリカと共通点を多く持つ1920年大統領選挙
米国安全保障企画研究員の東秀敏と申します。今回の講義では、ウォレン・G・ハーディング候補が当選した1920年度の米国大統領選挙を扱います。
今年は2020年なので、ちょうど100年前の選挙を分析するのですが、その理由としてウォレン・G・ハーディングとドナルド・トランプが多くの共通点を持っていること、そして時代背景に関しても多くの共通点があることが挙げられます。よって、ケーススタディとして1920年の大統領選挙を分析することは、現在のトランプ大統領率いるアメリカの理解という意味でも、非常に価値が高いのです。なので、今回は100年前の大統領選挙を分析してみたいと思います。
最初に五つのポイントに関して説明します。まず、当時の国内外の情勢を考察します。次に米国第一主義(アメリカファースト)という思想の台頭について説明します。そして、当時まったくの無名で泡沫候補とされていたハーディングという人物の実像と、当選に至るまでの背景についてご説明します。さらに、米国第一主義(アメリカファースト)という思想を、実際に彼がどのように実践に移したか分析します。最後に、ハーディング流のディール外交に関して説明し、それに対する日本の対応を見ていこうと思います。
ここで簡単に要旨を説明します。100年前は、ちょうどグローバル化の拡大のまっただ中の時代で、この中でハーディングは米国第一主義(アメリカファースト)という思想を打ち出しました。1920年の大統領選挙は、グローバリズムと米国第一主義が真っ向からぶつかった選挙で、当時の米国はグローバリズムを拒否して、ハーディングの米国第一主義を選びました。それ以降、米国第一主義の道を歩むこととなります。ハーディング時代は、米国の抑圧された熱狂と反知性主義が反発した時代であって、本質的な行動変化ではないのです。しかし、歴史的には大転換が行われた時代でもあります。
日本に目を転じると、1921年11月に原敬首相が暗殺されました。原首相なき日本は、米国内の力関係をほとんど理解できずに、観念主義に傾倒して、後に反米主義へと向かうことになります。米国に対する理解の欠如が、日米対立の大きな要因の一つとなったのです。
●第一次世界大戦やスペイン風邪によってアメリカ社会は不安定化
最初のポイントとして、1920年当時の国内外情勢を見ていきたいと思います。まず重要なのは、アメリカが戦勝国としての自覚をほとんど持っていなかったという点です。実際にアメリカは途中から第一次世界大戦に参戦したのですが、それでも12万人程度の犠牲者を出しています。比較対象として、アジアで戦った日本の例を挙げると、300人程度の犠牲者しか出していません。ですので、米国も大きな犠牲を払ったのです。
大戦略の観点からいえば、アメリカは後から参戦したにもかかわらず、堂々と戦勝国として振る舞いました。国際連盟の設立を提唱し、そして対英対仏融資に積極的に取り組み、金融的にも非常に有利な立場に立つことに成功しました。また、ヴェルサイユ会議も主導しました。最小のコストで最大のリターンを得た戦勝国となったのです。
しかし、国内的には12万人の犠牲者という、大きなダメージを受けました。さらに、戦争経済で不況となり、厭戦気分が蔓延しました。加えて、スペイン風邪のパンデミックが起こり、実は戦争の犠牲者より多い約50万人の犠牲者を出しています。また、2020年現在の状況にもつながるのですが、人種暴動も起きています。シカゴでは、現在のミネアポリスの暴動に近い黒人と白人の間の対立が起こりました。全国規模とまではいえませんが、地域レベルでは大きな問題となりました。さらに、ウォールストリートでも、爆破事件などが起こっています。
したがって、1920年の状況は、2020年の状況に似ているのです。こうした混乱の中で非難の対象となったのは、当時のウィルソン大統領が強引に推し進めたグローバリズムというアメリカの新しい思想です。アメリカは世界での覇権維持に慣れておらず、帝国主義的な考え方にアレルギーを示す国なのです。ウィルソン大統領の政策は、かなり大英帝国の政策に近く、アメリカのDNAからするとアレルギー反応を起こすようなものだったのです。その結果、ウィルソンに非難が集中し、時代は新たな常識(コモンセンス)を渇望することになるわけです。
●アメリカファーストというスローガンによって出てきた「もう一つのアメリカ」
その中で、出てきたのが米国第一主義です。このアメリカファーストとい...