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『ロビンソン・クルーソー』はなぜ300年間読まれてきたのか

『ロビンソン・クルーソー』とは何か(2)言行不一致の人

武田将明
東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻教授
情報・テキスト
『ロビンソン・クルーソー』初版の表紙と扉ページ
18世紀に出版された『ロビンソン・クルーソー』が、流れる時に埋もれず300年間読み続けられてきたのは、なぜだろうか。デフォー自身は、小説をどう思い、人間や人生をどう観察する人だったのか。その秘密を解く鍵として、「言行不一致」と「嘘から出た真」というキーワードを追いかけていく。(全7話中第2話)
時間:11:00
収録日:2020/07/22
追加日:2020/09/08
≪全文≫

●「小説は有害」と批判した4年後に書いた『ロビンソン・クルーソー』


 前回の話を踏まえ、より深くこの問題を考えていくために、では『ロビンソン・クルーソー』の何が新しくて、なぜ同じ時代の他の小説のように時代に埋もれることがなかったのかという点を、ここからは検討したいと思います。

 それを検討するための鍵、あるいはヒントとなるのが、前回ご紹介した『家庭信仰のすすめ』の作者は誰かという問題です。この作品では、小説や脚本というものは有害であるというふうに作者が言っていました。そのようなことを言った人物は誰だったのかというと、他でもない、ダニエル・デフォーだったわけです。

 つまり1715年に、小説というのは子どもにとって有害であるというふうに批判した人が、4年後に、他でもない小説『ロビンソン・クルーソー』を書いたということになるわけです。

 さらにいうと、そもそもこの『家庭信仰のすすめ』という作品もちょっとおかしな作品です。どういうことかというと、作品のなかで小説や脚本は有害だと言っているんですが、この作品自体が、先ほど少しご説明したように、架空の、当時の一般家庭を舞台にした演劇のスタイルで書かれているわけです。お母さんが前回言ったような台詞を言い、その後、娘が帰ってきて、怒っているといったやりとりがこの作品の全体を占めているわけですね。

 ということで、どうもこのダニエル・デフォーという人は、作品のなかで言っていることと作品を介してやっていることとが矛盾しているのではないか、一致していないのではないか、と思われるわけなのです。


●『ロビンソン・クルーソー』の表紙にデフォーの名前がない


 デフォーは、本当は小説や芝居のような文学作品をけっこう好きだったのに、何らかの事情で、あえて小説や脚本は有害だと言っていたのでしょうか。そう思って、いろいろ調べてみると、どうもそうではない。デフォーという人は、ある面において小説や脚本は本当に有害であると考えていたらしいのです。

 その証拠に、今、お見せしているのが『ロビンソン・クルーソー』の初版の表紙です。この表紙を見ていただくと、普通、文学作品なり小説にあるべきものが載っていません。それは何でしょうか。

 英語で書かれている上、いろいろと少し細かいことまで書かれているので、なかなか見つけにくいかもしれませんが、よくよく見てみると、どこを眺めても「ダニエル・デフォー」という作者の名前が出ていないのです。一切ありません。

 その代わり何が書いてあるかというと、ちょっとお示ししようと思うのですが、ここをちょっと見ていただきたい。ここに"Written by Himself"(彼自身が書いた)とあるわけです。

 この、"Himself"の「彼」とは誰でしょうか。これは、ずっと読んでいただくと、ここに書いてあるロビンソン・クルーソーその人以外にあり得ないのですね。ということは、どういうことかというと、この書物は「ロビンソン・クルーソーという実在の人物の自伝である」という設定で出版していたわけです。

 つまりダニエル・デフォーは、この『ロビンソン・クルーソー』という小説を、「これはフィクションや小説ではありません。本当の話なんですよ」というふうに主張して出版していました。そして、もちろん私たちはこの主張が嘘である、つまり事実ではない、本当はダニエル・デフォーのフィクションであるということを知っているわけです。

 ですが、「嘘から出た真」という言い方がありますように、この嘘によって『ロビンソン・クルーソー』には、どのような文学的な価値が与えられたのでしょうか。そこをぜひ一緒に検討してみたいと思います。


●言行不一致だったロビンソン・クルーソー


 実例に即して、少し検討してみましょう。作品の冒頭付近に、次のような内容が書かれています。概略を説明しますと、ロビンソン・クルーソー(自分)は海に飛び出して世界中を旅するという夢を抱いているわけです。そして、その夢しか眼中にないような息子(ロビンソン)に対して、ある日、父親が自分の部屋に息子を呼んで説諭(説教)します。

 父親の説教は、(彼らの家族のような)「社会の中くらいの境遇こそ、人としての幸福に一番近いんだよ」という調子で、懇々と息子を諭しています。決して上から力ずくで、海に飛び出すことに反対するのではなくて、懇々と教え諭すように、やさしく息子に、「そんな無茶なことをしてはいけないよ」と話すわけです。

 それを聞いたロビンソンは、「お父さんの言う通りだな」と心の底から思って、父の望む通り実家に落ち着こうと決意をするのですが、...
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