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『日本書紀』ではなぜ出雲神話がカットされているのか

世界神話の中の古事記・日本書紀(6)出雲神話をめぐる古事記・日本書紀の違い

鎌田東二
京都大学名誉教授
情報・テキスト
『古事記』には国生みから国づくりまでのプロセスの中に、スサノオ、オオクニヌシの波乱万丈の物語、つまり「出雲神話」と呼ばれる部分がとても手厚く描かれている。一方、『日本書紀』はその部分がカットされている。スサノオが『古事記』にあった「接着ボンド」のような役割を果たすわけではなく、むしろ分断する役割だという。なぜ『日本書紀』はそのような描かれ方がしてあるのだろうか。(全9話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:51
収録日:2020/10/05
追加日:2021/05/08
タグ:
≪全文≫

●出雲神話が手厚い『古事記』


鎌田 オオクニヌシの話も浮沈といいますか、山あり谷ありです。話は少し横道にそれますが、オオクニヌシは多くのお兄さんたちがいます。スサノオノミコト(スサノオ)が荒ぶる神で日本で最強の神様だとすれば、その子孫のオオクニヌシは最弱の神様です。

―― 弱いのですね。

鎌田 なぜ弱いかというと、お兄さんの神様がたくさんいて、お兄さんたちに平身低頭するからです。メソポタミア神話の下級神のように労働の役割を与えられて、荷物を背負って後からお兄さんたちにかしずくようにしている。それも、気だてがいいというのか心優しいというのか、嫌な仕事を全部引き受けていく。

 当時、オオナムチノカミ(後のオオクニヌシ)は求婚に行くのですが、その途中に因幡の白ウサギがいました。いろいろなエピソードがあるのですが、因幡の白ウサギは傷ついて、苦しんでいた。お兄さんたちは「海の塩水で洗って、風に吹かれていたら治るよ」という間違った治療法を教えます。ウサギはその通りにして、よりいっそう傷口がヒリヒリして拡大してしまった。

 そこへ最後に、お兄さんたちの荷物を持ったオオクニヌシが行き着く。そして、その間違った治療法を改めて、真水で傷口を洗って、蒲(がま)という植物の粉をつける。そうして、そよそよとした風に吹かれていると治ってしまった。そのような癒しの神、医療神のような神格も発現した。

 また、彼だけが姫のプロポーズに成功したりして、お兄さんたちに恨まれて2度も殺されています。2度殺されても、お母さんたちのムスヒの働きで復活しています。

 スサノオは、オオゲツヒメノカミなどいろいろな神様を殺したりもしています。機織り女はスサノオが直接殺したわけではないけれども、スサノオが原因で死んでしまう。だから、スサノオは荒ぶった暴虐の、死をもたらす破壊性のある神なのですが、オオクニヌシノカミは逆に、恨みを買ってお兄さんたちに殺される。でも、そのままではなくて、お母さんたちの庇護、愛によって生まれ変わらせられる。

 その結果、自分の先祖であるスサノオの根の国へ行き、妻となるスセリビメという女性を得ます。そのスセリビメは、スサノオの娘です。スサノオの娘が、スサノオが持っている三つの神宝(かんだから)である生太刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、天詔琴(あめののりごと)を奪います。

 スサノオの威力は、太刀と弓矢に表されるように、武力です。詔琴は、神聖な歌を歌う力、言霊の力を持つものです。

 そのスサノオの持っている神宝を奪って、娘のスセリビメと一緒に逃げました。そのときにスサノオが追いかけてきたのだけれど、途中であきらめて、「これからお前はオオクニヌシノカミ、ウツシクニタマノカミと名乗って、娘と一緒に住んで、良き国をつくれ」といった祝福を与えるわけです。

 このようにミッションを与えられて、立派に一人前になり、結婚もできたオオクニヌシが国づくりをしていくという物語、またスクナヒコナノカミという小さい神とともに国をつくっていく物語が展開していく。そして、つくった国が国譲りにつながっていく。国生みから国づくりまでのプロセスの中に、スサノオ、オオクニヌシの波乱万丈の物語――「出雲神話」と呼ばれる部分――が、とても手厚く物語られるのです。

―― そこで先ほどあったように、文化や歌の発祥など、いろいろな発祥がそこにあるのですね。

鎌田 祭の発祥もあります。そういった生と死のドラマが繰り返されるので、本当にハリウッド映画を観ているような面白さなのです。息もつかせぬ面白さというのか、そういった魅力的な物語展開を『古事記』は持っています。


●『日本書紀』では面白い物語がカットされている


鎌田 それが『日本書紀』になると非常にドライになる。スサノオは“接着ボンド”のような役割を果たすわけではなく、むしろ分断します。スサノオはお母さんであるイザナミノミコトとそれほど強いつながりを持っているわけではなく、スサノオは悪い神という位置づけです。

 そのスサノオの子どもが、『日本書紀』本文では、「オオナムチ(→オオクニヌシノカミ)」であるという位置づけです。オオクニヌシという言葉は、『日本書紀』の中ではほとんど出ず、「オオナムチ」という名前で多く出てきます。アマテラスオオミカミが「オオヒルメムチ」と呼ばれているのに対抗して、オオナムチが出てくる。つまり、天つ神の代表者としてのオオヒルメムチ、国つ神の代表者としてのオオナムチ、と対抗軸のように描かれているのです。

 オオナムチ(=オオクニヌシ)の物語や、スサノオの物語(いわゆる出雲神話)が、『古事記』の中では非常にドラマチックに、スペクタクルに描かれている。それが『日本書紀』では縮小、ほぼカットされています...
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