●庶民文化が生まれる背景
―― 前回、長期間の平和と人口規模から、庶民文化が非常に発達した、という話が先生からありました。今回はその部分について話を深めていければと思います。
本村 私がこの講義を行う意味も、基本的にはそうした庶民文化の比較です。元老院貴族や武士階級の違いについては1~2回触れることがあると思いますが、全体としてはやはり庶民を視野に置いて話してみたいと思います。
―― 今の日本文化のベースになるものはだいたい江戸時代に形づくられたといわれますが、ローマの場合の庶民文化はどういうものになりますか。
本村 ローマというのは、文芸や学芸においてはやはりギリシア人に敵わなかったといえます。ギリシアのほうが先に文化を築いているし、それから皆さん振り返ってみても、哲学にしろ医学にしろ歴史にしろ、学問全体の源がギリシアです。さらにギリシア悲劇や詩のような芸術についてもそうです。ギリシアの場合、詩を遡ればホメロスの時代まで遡れる。
それらがいまだに世界の歴然たる古典として残っているわけで、そういうものを築いたギリシア人がいて、ローマ人は彼らに倣っていったわけです。そういう中で、ローマ風の文化は、そういう高尚な学芸よりもむしろ庶民文化の中で築かれ、庶民が楽しんでいった。例えば風刺詩などがそうで、江戸時代における川柳に当たるものです。
日本文化の中では江戸が一番国風文化の出来上がった時代とよくいわれますが、ローマでもやはり平和で安定した時期だったからこそローマ的なものが生まれました。いわゆる「パンとサーカス」の戦車競走や剣闘士興行といった庶民文化が大々的に出来上がるのも、「ローマの平和」の時代でした(もちろんギリシアの頃にも小規模にはありました)。
庶民文化というものが生まれる背景には、庶民にそれだけのゆとりがあることが必要です。戦争があったり、食うに困ったりするようなときでは、そのような余裕はありません。それが、やはり江戸とローマを比較する大きな意味になると思います。
●大都市で行われた戦車競走と剣闘士興行
―― 戦車競走と剣闘士興行というお話が出ましたが、やはりその二つはかなり大きなものになるのですか。
本村 そうですね。「パンとサーカス」という言葉の「サーカス」は、皆さんの語感からは曲芸的なことと思われがちですが、「サーカス」の元の言葉である「キルクス」は戦車競走のコースを指しています。楕円形のコースのことを「キルクス」と呼んだわけです。
―― 『ベン・ハー』をご覧になると分かりますが、大きな競技場を走り回る、あのコースですね。
本村 そうそう。あのコースが「キルクス」です。ローマの遺跡のちょうど真ん中にコロッセオがありますが、その近くに「チルコ・マッシモ」があって、戦車競走をやった跡が全部残っています。もちろんスタンドなどはなくなっていますが、行けばはっきり分かるぐらい残っているわけです。
イタリア語の「チルコ・マッシモ」はラテン語読みすると「キルクス・マキシムス」ですから、「大競技場」あるいは「大競走場」という意味になります。そういう場所を用いる一番楽しい競技が戦車競走だったわけで、とにかく規模の大きいものです。「チルコ・マッシモ」などはおそらく30万人規模の観客が周囲を取り囲んだと思われています。
―― それは日本の野球スタジアムの比ではないですね。10倍近いですね。
本村 そうです。「常設」スタンドが30万人ぐらいあって、上のほうに「仮設」スタンドを造れば50万人ぐらい入ったのではないかといわれます。ローマの人口が100万ですから、半分ぐらいがそこに見に集まれる。さらにローマの外からも来ますから、よほど大きなイベントのときは「仮設」が作られたのではないかと言われています。
剣闘士興行も評判でしたが、みんなで楽しみたいということでは規模が大きいのは戦車競走です。今われわれが見ると、競技のゴール地点前あたりが一番いい場所だと思いがちですが、戦車競走の場合は、コーナリングが一番面白いわけです。『ベン・ハー』を思い出していただけばいいですが、曲がるところにいろいろな危険があって、なかなかうまくいかない。
―― 一番転ぶ危険も高いわけですね。
本村 そうです。外側を回るとスムーズだけれども、そうするとコースで損をする。そこをどうさばくかというところを、みんな面白がって見る。だから競走場がオープンすると、みんながワッとコーナー付近に殺到していくようなものだったわけです。
チルコ・マッシモ(キルクス・マキシムス)はローマの例ですけれども、大都市でないとなかなかできにくいものでした。
―― そうでしょうね。
本村 規模が大きいのが当然で、常設のスタンドでも数万人あるいは10万人を超える人が集まれた...