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承平天慶の乱がなぜ軍事貴族を輩出する契機となったのか

「武士の誕生」の真実(6)承平天慶の乱と軍事貴族

関幸彦
日本大学文理学部史学科教授
情報・テキスト
これまでの歴史の理解では、中央政府の不安定化に伴って、武士が登場してきたというストーリーが一般的だった。しかし、近年ではそうした理解が見直されつつある。むしろ中央政府と兵にはある種の協力関係があったのである。兵はいかにして制度的身分を与えられる存在になっていったのか。(全8話中第6話)
時間:12:22
収録日:2021/10/22
追加日:2022/01/19
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≪全文≫

●中央政府が兵を積極的に登用していく流れがあった


関 そのようなことを踏まえながら、今度はその兵たちがやがて地方の辺境に武力として転用されていく流れをどのように解釈すべきかという話になります。このテーマは、「王朝的武威の拡散」という形で話を進めていきたいと思います。

 王朝的武威の「武威」は武的な威光という意味です。後の史料になりますが、天皇の権威のことを「王威」と呼んだり、武士武家の権威のことを「武威」と呼んだりします。王朝的武威という言い方は1つの造語で、要は王朝国家の段階に兵と呼ばれる存在が、これに見合う形で武力の紛争を軍事的に請け負う立場が提案されていくのです。

 提案されていく背景には、兵と呼ばれる人たちがいかに地方支配のためにその地方に下向していったのかが関係しています。従来は、かつて武士たちと呼ばれた兵たちがいち早く地方に土着していくというストーリーでした。しかし、土着する以前に兵が中央の政策を体現して、辺境の騒乱に中央政府の威光を体現し、自分たちの持っている皇胤、つまり天皇の血筋や中央貴族の血筋など血脈的な権威を利用して、地方の勢力と協力し合いながら地域支配を達成していくことが政策として積極的に提案されていきます。

 今までの理解では、10世紀くらいに地方が紊乱(びんらん)し、中央が乱れて、中央の乱れに乗じながら武士が登場してくるというのが1つのストーリーでした。しかし実際には、中央政府も地方の様々な紛争や騒乱に関して、決して放棄し諦めたわけではなくて、中央政府が政策として自ら積極的に兵と呼ばれる武的領有者を登用して、その登用した結果が形として表れ始めていきます。

 つまり、中央政府は決して無策であったわけではありません。中央は中央なりに積極的な形で政策立案を展開し、その政策立案に対応するようにして、期待を担うべく登場した武的領有者が兵と呼ばれたのです。

 したがって、この兵という存在がある意味では、軍事貴族的な性格を持つようになります。軍事貴族とは、制度的には貴族でありながら、軍事力を持った存在です。貴族は制度上の言い方なので、位階を持っているというのが重要なことです。何となく尊い輩が貴族なのだというファジーなことではなくて、貴族は本来五位の位階を持っている身分的・制度的な言い方で、それを「貴」あるいは「貴族」と言うのです。

 貴族にもストライクゾーンがあって、バリバリの貴族なのは三位(さんみ)以上で、「公卿」と呼ばれる存在がそうです。また、四位や五位は貴族に準ずるという意味で「通貴」と呼ばれます。一般的には五位以上を広く「貴族」と呼びます。

 その貴族の中にあり、武的な要素を持った貴族のことを「軍事貴族」と呼びます。つまり、基本的には五位の位階を持っている軍事的な存在が「軍事貴族」と呼ばれるということです。


●兵が軍事貴族化する契機となった「承平天慶の乱」


 その軍事貴族が制度的に登場してくるのが、だいたい「承平天慶の乱」あたりです。平将門や藤原純友の乱の鎮圧者や、乱の功績者がそうです。将門、純友が兵として地域の騒擾を起こした張本であるとすれば、同じような同質の武力でもって兵が兵を淘汰し、この結果、将門や純友を打倒した武力をまた将門や純友と同質・同等の武力で制圧していきます。 つまりこれが兵であり、兵の反乱は兵によって打倒されたのです。「夷を以て夷を制す」という一つの方向性は常に出ていました。

 その意味では、「将門の乱」の鎮圧者は、「この乱を鎮圧せよ」という国家的な指令を受けて戦ったので、論功行賞としての恩賞が与えられます。それが与えられた時の兵段階の恩賞は、武士段階の恩賞と違って、所領や土地ではありませんでした。

 皆さんたちが知っている武士の時代は、一所懸命という言葉に象徴されるように、1つのところに命を懸けます。そして、この「1つのところ」が意味するのは領地、所領です。つまり、土地が恩賞とされていたのです。

 ところが10世紀の王朝国家段階における恩賞は、基本的には官職、あるいは官職推薦権と考えられていました。そのため、「将門の乱」や「純友の乱」を追討し、鎮圧したこの兵たちは、恩賞として位階を与えられます。この乱を鎮圧した藤原秀郷や平貞盛といった連中たちも、将門や純友などの連中たちと出自は変わりません。ただし、位階を持っていないので、軍事貴族であると明言はできません。貴族たちの子孫・末裔が留住しながら土着していくプロセスにあるので、その意味では軍事貴族的実態を持つ存在です。こういう連中が将門や純友を追討して、その恩賞として朝廷から位階を与えられたのです。

 その位階が五位の位階です。五位の位階を与えられることによって貴族になるのです。つまり、従来、戦士的な武的領有者の...
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