●ユーラシアの両端にたまった神話の類似性
鎌田 そこで今回のシリーズのテーマである類似の神話学ですが、もう1つ類似の神話があります。「出アフリカ」した人類が、今度は「出ヨーロッパ」して、そしてイギリスやアイルランド、あるいは日本列島に入っていきました。ユーラシアの西の果てがアイルランド、東の果てがと日本だとすると、アイルランドと日本には類似の神話があります。
―― たどった過程でいうと、一番遠い2つの国ということになりますね。
鎌田 そうですね。地理的には対極的・対照的な場所(ポイント)ですね。もっとも遠いような場所にあるところに、なぜこれほど似ている話があるのか。その話とは「浦島(太郎)伝説」と「オシーン伝説」です。
浦島伝説について、実はこのような本を出しました。淡交社という出版社から発刊された『京都 上賀茂神社と水のご縁 葵(あふひ)』です。京都の上賀茂神社、下鴨神社では葵祭が行われますが、御阿礼(みあれ)祭という神様が誕生する重要な祭となります。その中で特にその上賀茂神社のことを中心にした本なのですが、ここに私は日本の二葉葵とアイルランドのシャムロックという2つの儀礼について書きました。日本では葵を使った祭、アイルランドではシャムロックという三つ葉のクローバーを使う祭があります。そのような聖パトリックデー(祭)の根幹には、共通の神話的物語要素があるのではないかと私は常々考えています。
アイルランドと日本ですが、私の顔がユーラシア大陸だとすると、2つの耳が日本とアイルランドに当たります。
―― まさに端と端、周縁の部分ですね。
鎌田 この2つの耳が地球全体の大きな声を聞き届けている。「出アフリカ」し、「出ユーラシア」したものの最後の帰着点は、西の果てと東の果てしかない。地球上のあらゆるものが、西の果てと東の果てにとどまる。だから神話的要素も、東西の果てにとどまる。というわけです。そこから先は行き止まりなので、この行き止まりの場所に、実は地球上で生成されてきた神話的な物語の古い部分がかなり残されている可能性があるのです。
―― そこにたまっているということですね。
鎌田 どちらも、そこから先は出口がありません。日本の場合は「東の先は常世の国である」「ニライカナイである」、アイルランドの場合は「ティル・ナ・ノーグという常若の国がある」などと言われました。アイルランドでは「大西洋のかなたに永遠の魂の世界がある」、日本では「東の海上の果てに魂の世界がある」、「神々のふるさとがある」、と。そういった世界が海の果てにあると考えたのです。
ギリシアから地中海を見ると、向こうにアフリカ大陸があるとすぐに分かります。それから、ややオリエント(東方)に向かうと、メソポタミア、イラク、イランといった場所に着くということが経験的に分かります。でも、日本とアイルランドは、どこまで行っても向こうには何もない、海の向こうには何もないと思わされるわけです。
―― 当時の航海技術では、とてもではないけれど渡れませんね。
鎌田 北米、中米、南米というアメリカ大陸の存在がイメージできなかったし、経験の中でも行ったらそれっきりになって、フィードバックされる機会がほぼなかったと思われます。そうすると、神話もそこで止まってしまっていたのです。
●もっとも古い浦島伝説が『日本書紀』にある
鎌田 止まってしまったもの同士で似ている伝説の1つが、日本の浦島伝説とアイルランドのオシーン伝説です。
浦島伝説が日本で一番古く記されているのは『日本書紀』の中です。一方、オシーン伝説ができて記録に残されていくのは、おそらく10世紀以降、11世紀から12世紀頃でしょうか。日本でいえば平安時代の終わりから鎌倉時代くらいの中世の頃で、その頃に文字としては記されていて、それが現在伝わっているアイルランド神話の原型的なものになっていると思われます。
アイルランド神話もフォークロアが採話するいろいろなバリエーションがあり、複雑すぎてよく分からないものがあります。日本の場合、手掛かりが『古事記』か『日本書紀』とはっきりしています。その『日本書紀』の巻14に「浦嶋子伝承」が出てきます。
〈雄略天皇22(478)年の秋7月に、丹波国与謝郡の筒川という村に住んでいた水江浦嶋子という漁師が、船に乗って釣りをしていた。そこで、大亀を釣り上げた。ところが、その大亀がたちまち女性の姿に変身した。そして、その美しい女性と結ばれて夫婦となり、そして浦嶋は海の世界に入っていった。そして、蓬莱山(とこよのくに)に到って仙衆(ひじり)をめぐり見た。〉
こういう話です。これが日本における浦島伝説の一番古い記録です。