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一市民として「自分で考える人間」を育てる基礎が教養

「今、ここ」からの飛躍のための教養(1)4つの「限界」と「知の体系」を知る

長谷川眞理子
日本芸術文化振興会理事長/元総合研究大学院大学長
情報・テキスト
「教養とは何か」を知るには、教養小説を読めばいいのだろうか。日本では1990年代以降、「教養部廃止」の議論が頻出したが、「教養とは何か」について議論し始めると収拾がつかなくなり、多くの大学で教養学部が廃止となってしまった。一方、リベラルアーツを核とするアメリカのイェール大学では、リベラルアーツ(教養)について人類が集積してきた「知の体系」として明快に整理され、その目的までもがしっかりと明記されている。(全2話中第1話)
時間:07:49
収録日:2022/04/21
追加日:2022/05/25
キーワード:
≪全文≫

●教養があるとは、いろいろなことをたくさん知っていることなのか


 総合研究大学院大学の長谷川です。

 教養とは何だろうか。これは非常に大きな話題です。「教養とは何か」についての専門家など多分いないと思いますが、私も専門家ではありません。

 ただ、「教養小説」という言葉があります。ほとんどは男の子を主人公にして、子どもが成長して一人前の大人になっていくまでの苦労なり青春の蹉跌というようなことを描いた小説で、これらは「教養小説」と呼ばれることがあります。

 私が一番好きなのは、サマセット・モームの『人間の絆』という話です。あれはずいぶん一所懸命読んで、何度も泣いたり笑ったりしました。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』などもその類でしょう。

 だけど、今日私が取り上げたいのは、斉藤洋さんという方が書いた『ルドルフとイッパイアッテナ』という絵本です。ご存じでしょうか。のら猫仲間の猫たちがしゃべる話です。飼い猫だったルドルフがのらになって、いろいろな体験をする中、イッパイアッテナというのら猫のボスに出会い、お友だちになります。それによって成長していくので、この絵本も教養小説の一つです。

 イッパイアッテナというボスは大変教養のある猫です。のら猫仲間の一匹が、あるメス猫に恋心を抱いているらしいと勘ぐっていたルドルフは、「教養のある猫というのは、そういうことは聞かないものだよ」とイッパイアッテナに言われてしまいます。

 教養があるというのは、いろいろなことをたくさん知っているということでしょうか。もし、そうだとすれば、どうして友だちの恋心について聞かないことが教養のあることになるのだろうか、ということを少し考えたりしました。


●リベラルアーツとは限界から解放されること


 東京大学の教養学部で学部長をされていた石井洋二郎先生は、リベラルアーツ(教養)についての考察を重ねた方です。藤垣裕子氏との共著で書かれた『大人になるためのリベラルアーツ』(東京大学出版会)の中で、いいことをたくさん言われています。

 まず、教養はいろいろなことを知っているだけではない。それから、リベラルアーツの「リベラル(liberal)」は「リベレート(liberate)」と同じ語源なので、「解放する」という意味がある。それは、普通の人が持つ「限界」から解放されて、新しい見方や統合的な見方ができることを指します。

 ということは、まず、たくさん知ったという蓄積がないといけない。たくさんのことを知った上で、ある価値観のもとに構造化していくと、普通には見えなかったり気づかなかったりすることを考えられるようになる。それが、教養の意味ではないか、と石井先生たちは言われています。

 石井先生は、今年(2022年)出版された『リベラルアーツと外国語』(水声社)という本の中で、「限界」には4種類あるといわれています。まず「知識の限界」で、自分自身の「経験の限界」もあります。自分が経験しないことは分からないということで、知識の限界と経験の限界を挙げられています。それから、「思考の限界」もあります。どうしても自分固有の思考に左右されるからです。さらに見えていることしか見えないという「視野の限界」もあります。

 このように、「知識の限界」「経験の限界」「思考の限界」「視野の限界」を知るためには、まず自分に限界があること自体を知ること。そして、それを壊していける能力が、「今、ここ」からの飛躍になるのではないかということです。教養小説というのは、そういうことを育んでくれるものではないかと思います。


●イェール大学の教育理念で見つけた教養の基礎


 私は、1992年と94年にアメリカのイェール大学で教えたことがあるのですが、ここはリベラルアーツを核とする大学です。学生は4年間、ずっと教養学部で学びます。

 私がそのような大学で教えたのは、日本で「教養部廃止」の議論が頻出した時期で、実際にほとんどの大学で教養部が廃止になってしまいました。当時の日本では、「教養とは何だろう」「教養学部とは何だろう」ということについて、議論をし始めると収拾がつかなくなり、訳が分からなくなって、とにかくもうやめましょうということで、非常に雑な議論が多かったと思います。

 ところが、イェール大学に行くと、学生用のシラバスにこんなことが書いてあるのです。

 人類が集積してきた知の体系には4つの分野がある。一つは「人文学」で、哲学・文学・歴史など。一つは「社会科学」で、法学・経済学・社会学など。もう一つは「自然科学」で、物理学...
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