●紫上にとって光源氏のもとに連れてこられたのは一つの幸福
『源氏物語』の深読みの巻ですが、今日は一番大事なことをお話ししようと思います。紫上(むらさきのうえ)についてお話をします(編注:今回から2話に分けて)。
紫上は按察使の大納言(あぜちのだいなごん)の孫にあたります。按察使の大納言の娘が紫上の母で、『源氏物語』の中ではすでに死んでいます。仕方ないので按察使の大納言の北の方にあたる尼君(あまきみ)という、お祖母さんが紫上を育てています。
光源氏はマラリアに罹り、自分の兄にあたるお坊さんの祈りで治してもらおうと、兄のいる北山にやって来ます。そして山の上から眺めていると庵を見つけたので、面白そうだと覗きに行きます。これは「垣間見」といって、『源氏物語』にはそうした覗きがしょっちゅう出てきます。
すると、すごくかわいらしい女の子を見つけました。10歳ぐらいのこの少女を見て、「このかわいらしい少女は大きくなったら、どんなに美しいだろう」と思います。結果からいえば、藤壺(ふじつぼ)の姪にあたるので、そこに惹かれて引き取ります。源氏は一方的にこの女の子を見そめて、親の承諾も得ないで連れて来たのです。つまり、紫上は源氏に対して何の愛情もない、非主体的な関わり方なのです。ただし、誰も気がつかないうちに源氏に連れてこられたのは、一つの幸福でもあります。ある意味、源氏のやり方はひどいけれど、いろいろな男の目に触れないうちに源氏の庇護下に入り、源氏に本当に手厚く、手の中の玉のようにかわいがって育てられたのですから。そのように紫上の一生は、幸福と不幸があざなえる縄のように表裏一体になっているのです。
そして(第4話で)少し読みましたが、新枕(にいまくら)はというともうびっくり仰天で、「こんなにいやなことはない」と思うのです。非常にかわいそうといえばかわいそうですが、これは紫上だけではなく、多くの場合、そういうことだったでしょう。この時代の女性は12~13歳で結婚して子どもを産むことも多いわけですし、本当に恐ろしいことですが、ずいぶんの人がお産で命を落としました。よって、『源氏物語』でお産は薄気味の悪いこととして描かれています。
しかし(紫上は)不妊でした。これはとても不幸なことですが、不妊で子どもがいなかったために、明石の姫君(あかしのひめぎみ)や、明石の中宮(あかしのちゅうぐう)が産んだ三の宮(さんのみや)、一の宮(いちのみや)といった人たちを手元に引き取り、育てることができたのです。
結果的には、明石の姫君が今上天皇に入内(じゅだい)をして、どんどん皇子たちを産みます。すると紫上は、自分には子どもはいないけれど、国母(こくも・こくぼ)になります。つまり、皇后の母親になるわけですから、子どものいないことが彼女の後半生の幸福をもたらすという具合に反転していくのです。
●誰と関係を持っても紫上が一番だと気づく光源氏
明石に下っていた時、源氏は明石の君(あかしのきみ)とわりない仲になっていますし、子どもまでなしたことは紫上から見れば裏切りです。しかし、考えてみれば、「明石」の巻で源氏は明石の君と結ばれてはみたけれど、やはり自分にとって紫上ほど愛情の対象はいないと確認することになるので、紫上が一番愛すべき人だとつくづく思います。そういうことがあって、誰と関係しても、結局は紫上が一番だと、そのたびに源氏は思うのです。
その意味でこの物語は、源氏が紫上を裏切っても、結局は紫上のところへ帰ってくることを1つの筋道として描いています。
明石の姫君は、今でいえば不倫の子です。そのように生まれた現実はありますが、(第5話で)言ったように、この子は住吉明神のお力で頂戴をした子どもで、神の子です。だからのちに中宮にまでなります。それにより紫上には、国母の地位に上るという幸福をもたらしました。
また、玉鬘(たまかずら)の話も(第2話で)しました。玉鬘は源氏が野心を抱き、自分の娘だと披露して育てていた、いや、隠していた、いわば隠し球のような姫君ですが、これを紫上はいやだと思いながら、騒ぎ立てもせずに黙認しています。このように、「知っているのよ」とほのめかしながら、騒ぎ立てない。この叡智が紫上の素晴らしいところです。
ただし玉鬘は結局、源氏の言うことを聞きません。玉鬘はすごく聡明な人で、うまく源氏をはぐらかします。源氏の言うことを聞かないうちに野暮天の髭黒のものになってしまったことが突然、明かされるのです。結局、源氏の野心は挫かれ、紫上はまたここでも救済されていくのです。
最大の苦難は、もうすっかり中年親父になった源氏が(女三の宮を正妻にしたことです)。弘徽殿女御(こきでんのにょ...