●2025年は最低の年になるのかー40年サイクル説と日本の歴史
―― 今日は最初に、最も問題意識を持たれている「日本はこれからどうしていかなければならないのか」について、そしてこの30年の日本の凋落度合を含めて「新しい資本主義」等々について、まずは島田先生、お願いします。
島田 はい。(その前に)小宮山先生と私はかなり長い付き合いで、東京大学の総長になられる前からいろいろな交流がありました。皆さんの中には小宮山先生のことをそれほど知らない方もいらっしゃると思いますので、簡単にご紹介申し上げます。
小宮山先生は異色の東大総長でした。とても明るいですね。小宮山先生が総長を務めていた時代に、東大は非常に変わりました。いろいろな変化を起こされたけれど、(中でも)「知の構造化」を唱えられたのです。(現在、)学問は次々と専門化し、隣の人が何を行っているのか分からないといった事態になっているのですが、それを全て総合し、構造化する中から“ビッグピクチャー”を導き出す。そのような方法論を、東大の総長時代に出されました。こういったことを言う人は総長ではあまりおらず、大変革命的なことでした。
それ以前にも、「日本はいろいろな問題を抱えて大変だ」という議論はありましたが、それを「(日本は)“課題先進国”なのだろう。課題があるのだからチャレンジするのだ」と言われて一世を風靡しました。そして東大で「知の構造化」を行って、「プラチナ構想ネットワーク」を作られました。それは、「日本にはいろいろな可能性がある。そして課題に取り組むために行うのだ」と自主的に作った法人ですが、構想をどんどん推し進め、若い人を教育して、全国各地の自治体や企業をも巻き込んで教育活動を行ったので、おおかたそれは整いました。「皆、私の言っていることは理解しました。ではそれを実践しましょう」ということで、実装部隊を作り出したのです。(小宮山先生は)そういった人で、私は小宮山先生とはいろいろなところで交流があって、今日まで来ています。
さて、モデレーターの要望についてお答えすると、一言でいえば、岸田文雄さんがこの時期に内閣総理大臣になられたことはとても重要だと思います。なぜか。実は1980年代の中頃に日本は一度、1人当たりGDPでアメリカを抜いているのです。ご存じの方も多いでしょう。その頃は日本とアメリカを合わせると、世界のGDPの4割ほどにものぼりました。だから「G2」などと言っていたのです。「日本とアメリカで何でもできてしまうのだ」という時期があって、日本は得意の絶頂でした。
それからは、うまくいっていません。次々と階段を転げ落ちるように落ちていき、つい最近、PPP(購買力平価)で韓国に抜かれ、しばらくするとドルベースの1人当たりGDPでも韓国に抜かれるでしょう。それくらいどんどん落ちているのです。
「40年サイクル説」を唱える人がいて、私は割と当たっていると思います。どういうものかというと、日本は40年サイクルで、ものすごく良くなったり、階段を転げ落ちるように悪くなったりするというのです。
一番のポイントは、1945年です。日本列島が焼け野原になり、310万人ほどが命を落としました。あの年がボトム(底)だったと思います。あれから40年ほどたち、1980年代の中頃にどうなったかというと、1人当たりGDPで日本がアメリカを抜いたことがあったのです。敗戦国でボロボロだったのに、40年たったら世界の頂点に立ったという感じだったのです。
では、敗戦の40年前はどうだったか。1945年の40年前は1905年です。これは何か分かりますか。日露戦争に勝っているのです。
さらにその40年前は何だと思いますか。1865年です。長州の乱暴者が京都で殺人を繰り返していて、孝明天皇は外国人が大嫌いで、日本はどうなるという混乱期です。幕末の最低の時期でした。
それから(また戻って)40年後に日本は列強に伍して、とうとうロシアを破ったのです。そして調子に乗って太平洋戦争を行って、敗戦となった。それから頑張って、高度成長でアメリカを上回った。そして40年後は2025年です。「40年サイクル説」でいくと、2025年は最低なのです。あと3年です。
●岸田発言の「分配」への疑問符と日本経済の課題
島田 そうした低迷期になったときに内閣総理大臣になるのだったら、私は「次の40年は私が設計する」と言ってもらいたい。「最悪の状態を、今後はこうやって回復させる」と。これまで何度も繰り返してきているわけですから。そのちょうどいいタイミングで菅義偉さんが頑張っていたのだけど、座を追われてしまって岸田さんが総理になった。普通なら、彼が「40年の復興をするのだ」ということを言ってくれると期待するではありませんか。
そこで彼が何を言い出したかといったら、「分配を重視する」とい...