●日本の物語の多くは「貴種流離譚」
折口信夫は大きくものを見ることによって、見えてくるものがあると教えてくれます。他界から神がやって来て、流浪の生活をしながら、また他界に戻っていく。日本の物語のほとんどが、偉い人たちが旅を続けていく苦難の物語になっているのはなぜかと考えるのです。
これが有名な折口信夫の「貴種流離譚」の説です。「貴種」とは偉い人です。その人たちが流離して旅を続ける。この物語の形は、古代の天皇の物語にも通じるところがあります。神武東征もそうですし、顕宗天皇・仁賢天皇の物語もそうです。
平安時代になると、典型が「物語の出来(いでき)はじめの祖(おや)」といわれる『竹取物語』です。『竹取物語』は月の世界からやってきて、竹取の翁(おきな)と媼(おうな)に育てられ、大切にされるけれど、また月の世界に戻っていく話で、これも貴種流離譚です。
『伊勢物語』もそうです。『伊勢物語』は「身を要(えう)なきものに思ひなして」、つまり自分を世の中ではもう役に立たない者と思って、東下りする話です。その東下りする途中に、いろいろな苦難に遭遇しながら主人公が成長していくのです。
このタイプの話は、現在も続いています。『水戸黄門』も本来は偉い人が、いろいろなところを訪ね歩いて、悪事を働いている者を懲らしめて、また旅を続けていきます。これも貴種流離譚といえなくもありません。
さらには、映画のほとんどが、さすらい者シリーズです。例えば『ギターを持った渡り鳥』もそうです。「寅さん」だってホームベースは柴又ですが、寅さんが旅を続けていくことにより、いろいろな人と出会っていく物語です。これが貴種流離譚という物語パターンになっているわけです。
●「歌」も「語り」も楽しむ日本の文学
さらに、折口信夫はそうした物語について、自分自身も流浪の民として歩いていた「ほかひびと」たちが長く伝承していったのだろうと言っています。彼らはほとんどの場合、弦楽器を持って語ります。
これが折口信夫の面白く、大胆なところです。日本の語り物芸は、必ず弦楽器を伴うというのです。古い時代は、琴であったと。実際、『日本書紀』などを読むと「琴で語る」といった内容が出てきます。その次は、琵琶であると。琵琶の語りとなると、これは『平家物語』になります。
さらにその次は、大陸から渡来した三味線です。三味線でこれを語ると、義太夫になる。それでいうと、近代に爆発的に流布した浪曲も、三味線で語る「曲師」がいるではないかというわけです。
つまり大きく見たら、日本の伝統的な文学は歌の部分と語る部分があり、これらをそのときどきで合わせてミックスさせていく。
このやり方は『古事記』『日本書紀』からそうなのです。『古事記』『日本書紀』を読んでいくと、あるところから突然アリア(詠唱)になる。主人公が歌い始めて、自分の気持ちを歌で表現する。つまり、ストーリー展開は散文で行って普通の語りになるのだけれど、心情、気持ちを表すところは歌になるというのです。
われわれが今接することができる芸能も、実は歌と語りの全てをミックスしている。あるところは歌い、あるところは語りとなる。一番分かりやすい例は、歌舞伎です。歌舞伎も歌謡の部分があり、語りで聴かせるところがある。必ず歌舞が入り、全体が1つの劇場空間の中で全部楽しんでもらう。
これは1人でもできます。語り物がそうで、例えば浪花節芸と歌謡曲をミックスさせて昭和30年代、40年代に日本で大スターになった人物が、三波春夫さんです。歌だけれど、語りのところもある。歌謡浪曲『俵星玄蕃』(たわらぼしげんば)は、あるところまでくると、だんだん調子が上がっていきます。
「いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ、(まことは)杉野の十平次殿」と、どんどん上がっていく。ここから「あっ、討ち入りが始まった」といった形になっていくわけです。
このようになったのは、あるときは琴を抱え、あるときは琵琶、あるときは三味線を抱えて、日本全国を流浪していった巡遊伶人たちが広めた芸能だからというわけです。
しかも歌と語りをどのような節回しでミックスさせるか、そこには「型」があると。つまり、「貴種流離譚」という物語の型があり、それを語る際の型もある。文化の研究とは「型の研究」であるというのです。
●男が言い寄り、女がはねつけるのも「型」
そういう目で見ると、いろいろなことが見えてきます。例えば『万葉集』では、必ず男の人から最初に女の人に対して歌を詠みます。
「紫(むらさき)は 灰指(さ)すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児(こ)や誰」
紫色を出すには、椿を燃...