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『竜馬がゆく』『坂の上の雲』明治百年を画期した名著秘話

司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは? (2)明治百年と司馬文学の歴史的意義

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
司馬遼太郎
出典:Wikimedia Commons
国民作家として書く作品のことごとくがブームを巻き起こしてきた司馬遼太郎。「明治百年」である1968(昭和43)年、『龍馬がゆく』が大河ドラマとして放映開始となったが、同年から『坂の上の雲』という小説も連載が開始されている。日露戦争を描いた後は、「『街道をゆく』の人」として紀行文作家にシフトしていくことになるのだが、司馬遼太郎にとって明治百年、あるいは幕末から明治維新という時代はどのような意味を持つものだったのか。保守の人びとにも革命志向の若者にも支持された司馬文学の特色を探ってゆく。(2023年3月16日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「いまこそ読まれるべき司馬遼太郎~その過去、現在、未来」より、全6話中第2話)
時間:12:04
収録日:2023/03/16
追加日:2023/05/28
≪全文≫

●明治百年を画期した『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』


 『竜馬がゆく』がNHKの大河ドラマになったのは1968年の「明治百年」のことでした。昭和43年=明治百年であることから明治維新があらためて注目されていました。当時は学生運動の時代ですが、おとな、国家、社会、保守的な人たち、戦後の日本の秩序を支えていこうという人たちにとっても、明治国家からの連続性(が叫ばれました)。

 戦争に負けて、そこで終わったのではなく、明治以来の日本人は結局ずっと坂の上の雲(を追いかけていたということを書いた)。『坂の上の雲』という小説も、1968年から産経新聞に連載が始まっています。これもやはり明治百年記念で連載が始まった小説です。明治に青春を送り、日露戦争の時代、日本を西洋列強に負けない国に導いていく若者たち(秋山兄弟)と正岡子規を主人公に置いた青春小説的な形で日露戦争を描く。日露戦争に至るまでの明治の青春を描くのですが、文学者や陸軍の人、海軍の人などがいろいろ合わさって出てきます。

 このような形で、1968年から『坂の上の雲』という小説の連載が始まります。1923年生まれの司馬遼太郎さんは1968年には45歳ですが、それ以前の30代から本当に精力的な活躍を続けて幕末ものなどでかなりの代表作ができていた作家だったわけです。

 話は戻りますが、司馬遼太郎さんは明治百年のときに日露戦争を描く大連載小説を始めたりしました。その前にやはり幕末維新というものを描いて、しかもそれを非常にポジティブな、エネルギーあふれる形で希望に満ちて描くというのが、司馬遼太郎さんの得意技でした。


●保守の人びとにも革命志向の若者にも支持された司馬文学


 だから、例えば明治維新は素晴らしく、明治国家の続きの戦後日本も素晴らしいと考えたい自民党の人たちや財界のえらい人たちにとっても、司馬遼太郎さんはとてもいい作家に見えた。また、坂本龍馬や新撰組などは革命的な暴力と絡まる明治維新の動乱期の中で若者が自己実現していこうという話です。新撰組の人たちもやはり若者ですから、幕府につくか(幕府を)倒そうとするかはともかくとして、新しい世の中を目指していたのです。

 では、司馬遼太郎さんはなぜ新撰組が好きだったのでしょうか。これは、「幕府を助けたい人たちがよかった」というようなイデオロギーにもとづくわけではありません。司馬遼太郎さんは、実は佐幕か討幕かなど、あまり考えていないのです。佐幕派の人に親近感を持つとか、討幕派の人に親近感を持つということで小説を書いていないところが結局、司馬遼太郎さんのすごいところです。

 なぜ新撰組の人に司馬遼太郎さんがあれほど共感を持ったのかというと、近藤勇や土方歳三というのは(もともと)多摩の農民です。多摩の農民は、江戸時代のシステムの中では、どこまでも農民です。場合によっては養子に入ったりして武家になることはありますが、基本的にはいくらお金持ちで剣術の稽古をしたりしていても、農民は農民だったわけです。

 (彼らの生きた)幕末維新の動乱期は、今までの武士では済まない世の中ですが、武士自体がちゃんと戦闘をしてきていないので、きちんと戦える人は少ない。ペリー来航以降の時代というものは、武士だけではどうしようもないわけです。だから、京都を守ることでも、やはりちゃんと戦える本物の人たちが必要になる、その本物の人たちは、実は多摩の農民である。そちらのほうが真剣に剣術の稽古をしていて、今(当時)の時代に適応する。そういうタレントは、実はこういう層にいる。

 だから、会津藩や幕府関係が彼らを引き立て、京都で活躍する場を与える。彼らは幕府を守りたいという「徳川家万歳」のようなイデオロギーよりも、農民から抜け出していって、自由に階級を流動し、新しい世の中で自己実現したい。今まではどこまでも多摩の農民だったのが、剣術で活躍することで武士を超え、大きく日本に貢献する。

 それにより、大きく変わろうとしている時代の中、まったく新しい立場で行動している自分たちが活躍し、地位を得たり、何らかの大きな力を持てる。政治力なり経済力なり発言力なり、より大きな武力の実力なり何なりを得ることで、階級社会や封建制の時代ではあり得なかった自己実現をする。そういう人たちとしての新撰組が、司馬遼太郎さんにとっては魅力があったわけです。


●坂本龍馬の剣術と「しゃべる」力


 まったく同じことが土佐の半分サムライで半分農民のような階層の出の坂本龍馬にもいえます。彼は自分の才能によって藩というものを乗り越え、日本の激動の時代の中で、まさに自分のタレントとしての剣術としゃべる力を使います。

 「坂本龍馬は饒舌だ...
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