●プーチンを増長させた責任は日本にもある
中西 「世界激変の行方」ということでいえば、2016年にトランプ大統領が登場して選挙で勝利し、イギリスは国民投票でEU離脱を決めました。
それから、その2年前の2014年、プーチン・ロシアがウクライナ(領)のクリミアを侵略しました。第一次ウクライナ戦争といってもいいでしょう。これが悲劇的だったのは、西側の国が、プーチンのクリミア侵略を、実質的に見て見ぬふりをしたこと。欧米諸国は名ばかりの対ロ制裁をして、そしてウクライナとロシアとの和解を行うとしました。メルケル政権のドイツがその代表だったわけですが、こんなことをすれば、西側は(ロシアが)ウクライナ全土を侵略しても「仲直りしてくださいよ」程度で終わるのかな、とプーチンに思わせたのです。今日につながる非常に大きな悲劇の始まりが、2014年から2015年の「ミンスク合意」などというとんでもない合意を西側が結ばせたことですが、ウクライナはここで非常に大きな譲歩を強いられてしまった。
またプーチンが増長したのは、日本にも責任がありました。当時、日露国交正常化交渉ということで、安倍政権の日本は、このプーチン政権に非常に接近して、あたかも北方領土が今すぐにでも返ってきそうな世論を作り出しました。あのような交渉を行えば、プーチンはすでに外国の領土(クリミア)を奪っているので日本に領土を返すわけがないのに、なぜか日本政府はそういった幻想の中でプーチン政権に対する融和政策、かつてのヒトラーに対してイギリスが取った融和政策に似たような意味をもつ日ソ交渉を行ってしまったのです。
これは「悔いを千載に残す」ことにならなければいいと思います。なんといっても当時、日本は「2島返還でいいですよ」といったシグナルをロシアに出してしまっているわけです。これは、プーチンを増長させたといいますか、ロシアの侵略主義を一層(加速させました)。
私は、残念ながら日本にも、ウクライナ戦争につながる一つの責任がある。欧米諸国にも責任があると思います。
ただし比較にはなりませんが、この戦争の侵略の大部分、ほとんど全ての責任は本来、プーチンのロシアにあることは大前提として申し上げています。そのことは是非、誤解のないようにお願いしたいと思います。
●ウクライナ戦争後の見取り図を描くときを迎えている
中西 そういうことで、2012年頃から2022、2023年までのポスト冷戦第3期の激動の時代全てを収斂したのが、今日のウクライナ戦争だと思います。このウクライナ戦争の帰趨によって、世界がどのような国際秩序の時代に入ってくるか。あとで取りあげられればと思いますが、おそらく世界はいろいろな意味で多極化していくと思います。
しかし、その多極化の内実が問われます。つまり、中国やロシア、欧米、国際社会の中にしっかりと居場所のあるその他の国々が、お互いに競争し、対峙・対決をする形で、いくつもの極がある。こういった非常に緊迫した「多極化時代」、第一次大戦前あるいは第二次大戦前のような「多極化時代」になるのか。あるいははたまた、民主主義と平和、国際協調、そして何よりも主権と独立が重んじられる「法の支配」が重んじられるのか。
今回(2023年5月)の広島サミットでも、日本外交が非常に大きな注目を浴び、各国の共感を得たのは、「法の支配」をサミットの基本コンセプトとしたからです。
だからG7だけではなく、G20の国も皆、これには賛成する。そういう意味で平和秩序、法の支配、国際法を中心とした現状の国際秩序を守りつつ、お互いの経済関係を重んじ、しっかり繁栄の道を共通して求められるような、平和な国際秩序を築いていく。国際社会でいくつものいろいろな国、いろいろな考えや立場があっても共通する、どの国にも当てはまる普遍的な立場で共存していけるといった「多極化の世界」を、ウクライナ戦争後、われわれが世界に求める、あるいは実現しなければならない。そういった大きな見取り図が、この戦争によって描かれている、描くべきときを迎えていると思います。
その意味で、ポスト冷戦の30年が終わり、本当の意味での「夜明けの時代」が来たのではないか。こういうことで、冒頭にご紹介いただいた拙著『偽りの夜明けを超えて』、本当の夜明けを今迎えるか迎えられないかの瀬戸際にわれわれは来ているのだということで、こういうタイトルをつけさせていただきました。なかんづく、その本の中の第二部で「その芽が見えますよ」というところまで、舌足らずではあるけれども示させていただいたと自負しております。是非、ご一読いただければありがたいと思います。