●歴史認識問題で冷たい関係が続く日本と中国・韓国
もう一つ、エピソード的に感じることなのですが、日本は、中国と韓国と今、非常に政治的に冷たい時代になっていますよね。彼らが二言目に言うのは、「日本人は歴史認識がない」「歴史認識をゆがめている。間違っている」ということですね。
彼らが言いたいのは、「日本は戦前、侵略をしてきたのに一つも反省していない」ということだと思いますけれども、それは、取りようによりますね。韓国との関係で言えば、朴正煕大統領時代に協定を結んで、日韓の間の賠償問題はすでに処理したということになっているわけです。中国との関係で言えば、台湾に逃げた蒋介石もそうですけれども、周恩来が「二分法」を提言し、「戦争をしたのは日本の軍だ。民衆は悪くない。だから賠償を取らない」と、はっきり言っているわけです。
そういうことで一応は片付いているため、「反省していない」と言われても困るのですが、とにかく、日本はそういう立場なのです。ところが、彼らは「反省していない」「歴史認識がない」「靖国に行くのはとんでもない」とずっと言っていて、今はまことに冷たい関係になっているわけです。
●明治以降の現代史を教えないという日本の歴史教育問題
私は、実は、日本側にすごく大きな問題が一つあると思うのです。それは、日本が歴史教育で、明治以降の現代史をほとんど教えていないことです。中高の授業はもちろん、大学の教養課程でもめったに教えません。相互に依拠している事実が、片一方は完全に真っ白で、片一方は10倍ぐらい誇張されて教わっていますので、全くコミュニケーションできない状態になっており、まことに残念なことです。
では、どういうことがあったのか。中国との関係で言えば、19世紀の末、中国(清)は巨大な国でした。清は、世界最大の帝国と言われていたのです。海軍力も、世界最大の戦艦2隻を持っていたのです。日本は、この清と事を構えなければならないことになってきたのですけれども、中国には、鎮遠、定遠という大戦艦があります。ちょっとしたエピソードですが、長崎にその戦艦が来ていた時、戦艦の水兵が町で大暴れしました。その水兵を警察が捕まえて、処分しようということになったのですが、艦長が「1発お見舞いしようか」と言ったので、日本の警察は「ごめんなさい」と言って、逮捕した水兵を引き渡したそうです。
そんな国と戦わなければいけないのは大変なことです。しかも、中国は、日本のことを属国、朝献国で下の下と考えていましたから、簡単にねじ伏せられると思っていたのでしょう。ところが、実際には日清戦争で日本が勝ってしまったので、中国はものすごくショックだったようです。
●日清戦争後、明治維新を学ぶため日本に来た中国のエリート
私は、中国語も使っているので分かりますけれども、ものすごく難しい。実は、中国人にとっても難しい。四声という中国語の声調も難しいのですが、発音表記として拼音(ピンイン)というローマ字のようなものが入ったのは、たった50年前ほどで共産党政権になってからです。それ以前は、隣の村ともコミュニケーションができなかったはずです。ですから、中国という国は、どうしようもない国なのです。
ところが、そんなものが一切なくても、56ある民族の方言全てを理解し、見事に漢詩を作ったり読めたりできる人たちがいました。それが官僚です。「科挙」という制度で何万人に一人が選ばれるのですが、村を挙げて送り出すのです。超一流のオリンピック選手のようなもので、科挙で官僚になってくれれば、見返りが多いのです。そういう時代が1300年続きました。唐の時代から行われていた制度です。
その科挙を、中国は、日清戦争に負けた10年後に廃止しているのです。これが、どれくらい大きなショックであったか。科挙によって官僚になるような優秀な人はどこへ行ったかと言うと、何とほとんど全員が日本に来ていたのです。20世紀初頭、日本には中国のエリートがあふれていたと言ってもいいでしょう。
蒋介石は日本の陸軍で教育を受けましたし、孫文は日本でたくさんの知人をつくって辛亥革命を起こしました。魯迅という世界的な作家は、東北大学の医学部に通って勉強したのですが、「患者を一人治すより何万人という人に影響を与えたい」と言って小説家になりました。その他、数えれば何百人という中国のエリートが、日本で育っており、日本をとても尊敬しているのです。
彼らが日本から一番学ぼうとしたことは、明治維新です。中国では、辛亥革命までに、いろいろな争いが起きています。太平天国の乱をはじめ、数回にわたるまさに血で血を洗う内戦を経験し、ようやく辛亥革命にたどり着いたのです。
日本の明治維新はほんの数年の出来事です。...