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徳川時代の伊賀者はサラリーマンだった!?
		        	    
 グローバル化が進む昨今、ビジネスの場だけでなく、日常の場でも外国の人とちょっとしたコミュニケーション、世間話をする機会が増えてきています。そんなとき、役に立つのは忍者の知識ではないでしょうか。ハロウィンの日に渋谷駅を降りると忍者のコスプレをした外国の人をよく見かけますが、外国の人からすれば、今でもクールジャパンの象徴的な存在はSAMURA(侍)やNINJA(忍者)だからです。
ただ、忍者のことを愛してくれるのはうれしいことですが、とうの日本人が忍者のことをよく知っているかというと、実はそうともいえないかもしれません。そこで、今回は『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(高尾善希著、角川書店)を参考に忍者についてご案内いたします。
著者の高尾善希氏は、三重大学国際忍者研究センターの准教授で、専門は徳川時代史です。著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(ともに柏書房)があります。首都圏各地で古文書講座の講師を務めていて、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』は古文書講座で伊賀者の末裔の生徒さんに出会ったことが研究、執筆のきっかけとなりました。
今回、取り上げたいのは、あまり知られていない徳川時代の伊賀者たちのことです。実はその時代はちょっと意外な忍者の実態がありました。
徳川時代が訪れると、伊賀者に大きな変化が起こります。なんと、伊賀者は忍者ではなくなってしまったのです。いわばサラリーマンのように生きることを命じられたというのです。忍者からサラリーマンに転職だなんて、なかなか容易には想像しにくいことですが、徳川幕府という巨大組織の中で、ありふれた御家人として、サラリーマン警備員として生きるようになったということです。
1:大奥御広敷番(江戸城本丸御殿は表・奥・大奥に分かれており、そのうちの大奥は御殿向、長局向、御広敷向の三つに分かれている。この大奥御広敷向の番をする役)
2:明屋敷番(江戸は屋敷替えなどが多いため、よく明<空き>屋敷が発生する。幕府に収公された明屋敷の番をする役目)
3:西之丸山里番(将軍世子<将軍職を継ぐ者>や大御所<将軍を隠退するもの>の住む城が江戸城西之丸である。この西之丸の山里の門や庭の番をする役)
4:小普請方伊賀者(江戸各所の普請の現場監視をする役)
5:鉄砲百人組の伊賀組与力(若年寄支配で100人ずつの鉄砲組を組織している。伊賀組は伊賀の忍者で組織している。将軍の参詣時には警護を勤めた)
伊賀者が専売特許を失ってサラリーマンに転職して苦労していたことを知るとなんとなく親近感も湧いてきます。そこで気になるのは江戸のサラリーマンである御家人たちのフトコロ事情。本書では、麻布学園の創始者で御家人の家に育った江原素六の回顧録をもとにおおよその御家人の家計事情を推測しています。
江原素六がとくべつ貧しかったわけではありません。著者の高尾氏は「一般的な伊賀者の家計もこれとほぼ同じ程度と考えられる」と述べています。また当時、このくらい収入の家においてはどの家庭でも内職をするのが当たり前で、内職に長けた職人気取りの人たちも多く、「武士であるが、実態は職人」という者も少なくなったそうです。江戸時代のサラリーマンはまさにパラレル・キャリアを実践していたわけです。
副業が注目される今を生き抜くヒントが、江戸時代の庶民の生活にはたくさん埋まっています。また、忍者や江戸についての知識があると、外国人がクライアントの時はコミュニケーションの役にも立ちます。日本好きな外国人なら、きっと大喜びで話を喜んで聞いてくれることでしょう。
			            
		            
		        ただ、忍者のことを愛してくれるのはうれしいことですが、とうの日本人が忍者のことをよく知っているかというと、実はそうともいえないかもしれません。そこで、今回は『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(高尾善希著、角川書店)を参考に忍者についてご案内いたします。
著者の高尾善希氏は、三重大学国際忍者研究センターの准教授で、専門は徳川時代史です。著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(ともに柏書房)があります。首都圏各地で古文書講座の講師を務めていて、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』は古文書講座で伊賀者の末裔の生徒さんに出会ったことが研究、執筆のきっかけとなりました。
忍者は実在した
忍者といえば、大人気漫画「NARUTO」に描かれているような不思議な忍術です。忍者はけっして架空の存在ではなく、実際に忍術を使って軍事活動を行っていました。戦国時代のことです。代表的なのが伊賀国の伊賀者です。今回、取り上げたいのは、あまり知られていない徳川時代の伊賀者たちのことです。実はその時代はちょっと意外な忍者の実態がありました。
忍者からサラリーマンに転職!?
戦国時代、伊賀者は忍術をもって活動する武士団で、独立性の高い自治的組織を形成していました。織田信長は彼らを危険視していたそうで、織田軍による二度の猛攻を受け、伊賀者の組織は解体してしまいます。その結果、各地に散っていった伊賀者の子孫の一部はその地の大名家に仕えることになりました。のちに政権を奪取する徳川家もそのひとつです。徳川時代が訪れると、伊賀者に大きな変化が起こります。なんと、伊賀者は忍者ではなくなってしまったのです。いわばサラリーマンのように生きることを命じられたというのです。忍者からサラリーマンに転職だなんて、なかなか容易には想像しにくいことですが、徳川幕府という巨大組織の中で、ありふれた御家人として、サラリーマン警備員として生きるようになったということです。
忍者でも伊賀国出身者でもない伊賀者
そして、伊賀者という名称は役職の名称に変わりました。もともとは忍者だった伊賀者の子孫を呼ぶ名称だったのにもかかわらず、江戸城や江戸市中の警備をする仕事、あるいは普請場の監視などを行う仕事の職名になってしまったのです。そのため、伊賀国出身以外の伊賀者も現れます。つまり、ちょっとややこしい話になりますが、徳川時代において伊賀者は忍者ではなく、またかならずしも伊賀国出身者でもなかったということです。ちなみに本書によると、具体的に配属されたのは以下の5か所の役目とのこと。1:大奥御広敷番(江戸城本丸御殿は表・奥・大奥に分かれており、そのうちの大奥は御殿向、長局向、御広敷向の三つに分かれている。この大奥御広敷向の番をする役)
2:明屋敷番(江戸は屋敷替えなどが多いため、よく明<空き>屋敷が発生する。幕府に収公された明屋敷の番をする役目)
3:西之丸山里番(将軍世子<将軍職を継ぐ者>や大御所<将軍を隠退するもの>の住む城が江戸城西之丸である。この西之丸の山里の門や庭の番をする役)
4:小普請方伊賀者(江戸各所の普請の現場監視をする役)
5:鉄砲百人組の伊賀組与力(若年寄支配で100人ずつの鉄砲組を組織している。伊賀組は伊賀の忍者で組織している。将軍の参詣時には警護を勤めた)
伊賀者が専売特許を失ってサラリーマンに転職して苦労していたことを知るとなんとなく親近感も湧いてきます。そこで気になるのは江戸のサラリーマンである御家人たちのフトコロ事情。本書では、麻布学園の創始者で御家人の家に育った江原素六の回顧録をもとにおおよその御家人の家計事情を推測しています。
御家人たちのフトコロ事情
金一両を10万円とした場合、江原素六の年収はなんと112万円でした。これで家族7人をまかなわなければなりませんでした。どう考えてもそうとう苦しいといえるでしょう。そのため、素六は房楊枝づくりの内職をやっていたそうです。江原素六がとくべつ貧しかったわけではありません。著者の高尾氏は「一般的な伊賀者の家計もこれとほぼ同じ程度と考えられる」と述べています。また当時、このくらい収入の家においてはどの家庭でも内職をするのが当たり前で、内職に長けた職人気取りの人たちも多く、「武士であるが、実態は職人」という者も少なくなったそうです。江戸時代のサラリーマンはまさにパラレル・キャリアを実践していたわけです。
副業が注目される今を生き抜くヒントが、江戸時代の庶民の生活にはたくさん埋まっています。また、忍者や江戸についての知識があると、外国人がクライアントの時はコミュニケーションの役にも立ちます。日本好きな外国人なら、きっと大喜びで話を喜んで聞いてくれることでしょう。
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