社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2019.12.10

実は正義の人だった?明智光秀ってどんな武将?

 言わずと知れた、戦国の風雲児・織田信長。今でも、日本の歴史上の好きな人物ランキングなどで、必ず名前のあがる武将です。天下人としても知られていますが、信長は天下統一を目前に、1582年の6月2日、本能寺の変で急死しました。

 信長を襲い、亡き者にしたのは、織田政権の中核を担っていた腹心・明智光秀。英雄的に語られる信長に対して、主君を暗殺した明智光秀は、「裏切り者」として歴史にその名を残すことになったのです。

 そんな光秀ですが、2020年には大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公として取り上げられるなど、「裏切り者」ではない光秀の素顔に注目が集まっています。光秀とは、いったいどんな武将だったのでしょうか?

朝倉家でくすぶっていた光秀、信長に出会う

 もともと光秀は、越後国(今の福井県)を拠点としていた朝倉家に仕えていました。出生年や家族の名前などは謎が多く、朝倉家に仕えるまでの経緯も、さまざまな説が考えられています。しかし、戦国時代は血縁や血筋がものを言う時代です。光秀は、朝倉家の家臣としての歴が浅く、重要視されるような人物ではありませんでした。

 一方、信長は出身国の尾張国(今の愛知県)を統一し、美濃国(今の岐阜県)を手に入れ、いよいよ京に上ろうと力を蓄えていました。ときの室町幕府将軍・足利義昭は、下克上によって京から追われ、越前の朝倉義景のもとに身を寄せつつ、京に帰るチャンスを狙っている状態。つまり、信長と義昭の利害が一致していたのです。この2人の架け橋として活躍したのが、ほかでもない、光秀でした。

 これをきっかけに、信長と光秀は接近。ほどなく、信長と将軍・義昭は争い合う関係となってしまいますが、光秀は信長の家臣となり、天下統一に力を貸すようになります。

大器晩成型の武将だった明智光秀

 信長は、「超」がつくほどの実力主義者。豊臣秀吉をはじめ、血筋にとらわれず、有能な人物が出世していくのが、織田家家臣の特徴でした。そんななかで、光秀はめきめきと、頭角を表していきます。政治的な判断に長け、教養人として和歌や茶道に通じ、京の公家衆や高僧にも顔が効くため、信長の腹心として地位を確立していったのです。

 人生50年といわれた時代に、光秀が信長と出会ったのは40歳を過ぎたころ。つまり、光秀は大器晩成の武将といって過言ではありません。

 やがて光秀は、それまでの功績を認められ、丹波国(今の京都府亀岡市周辺)を与えられ、一国一城の主となります。治水をしたり、人々を苦しめる借金を取り消したり、光秀は自身の信じる正義と道徳に従った統治を行い、地元の人々に愛されるお殿様になりました。また、愛妻家としても知られ、妻である煕子意外に側室を持たなかったともいい、女性関係にもクリーンだったといいます。

本能寺の変の理由は、一体何だったのか?

 名もない家臣として生涯を終えるはずだった光秀を、拾い上げた信長。光秀も、信長に大変感謝をしていました。ならば、なぜ本能寺の変を起こしたのでしょうか? 

 接待の席での失態を責められ、信長に足蹴にされたことが理由になったという説。信長と政治的な対立があったという説。朝廷や、秀吉が背後にいたなどの陰謀説、黒幕説などが有名です。しかし一方で、信長に謀反を起こした家臣は、光秀がはじめてではありませんでした。信長は、前代未聞の天下統一をまえに、さまざまな改革を進め、それについていけなくなる家臣もたくさんいたのです。けれど、織田家はつねに実力社会。ついていけない者は、左遷やリストラが待っています。そして、当の信長は、そうした家臣たちの抱えるプレッシャーやストレスに鈍感でした。

 光秀も信長の考えに着いて行けなくなってしまった、家臣の一人であったのではとも考えられています。信長によって見出され、その信長を葬った光秀。有能な家臣であり、深い教養を兼ね備えた人物が、主を討とうと決意するまでにはどんな葛藤があったのでしょうか……。光秀という人物は、歴史の謎を一層深め、それがまた魅力となって、多くの人々を引きつけています。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
自分を豊かにする“教養の自己投資”始めてみませんか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

葛飾北斎と応為…画狂の親娘はいかに傑作へと進化したか

葛飾北斎と応為…画狂の親娘はいかに傑作へと進化したか

葛飾北斎と応為~その生涯と作品(1)北斎の画狂人生と名作への進化

浮世絵を中心に日本画においてさまざまな絵画表現の礎を築いた葛飾北斎。『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」が特に有名だが、それを描いた70代に至るまでの変遷が実に興味深い。北斎とその娘・応為の作品そして彼らの生涯を深...
収録日:2025/10/29
追加日:2025/12/05
堀口茉純
歴史作家 江戸風俗研究家
2

夜まとめて寝なくてもいい!?「分割睡眠」という方法とは

夜まとめて寝なくてもいい!?「分割睡眠」という方法とは

熟睡できる環境・習慣とは(4)起きているときを充実させるために

「腸脳相関」という言葉がある。健康には腸内環境が大切といわれるが、腸で重要な役割をしている物質が脳にも存在することが分かっている。「バランスの良い食事」が健康ひいては睡眠にも大切なのは、このためだ。人生は寝るた...
収録日:2025/03/05
追加日:2025/12/14
西野精治
スタンフォード大学医学部精神科教授
3

平和の実現を哲学的に追求する…どんな平和でもいいのか?

平和の実現を哲学的に追求する…どんな平和でもいいのか?

平和の追求~哲学者たちの構想(1)強力な世界政府?ホッブズの思想

平和は、いかにすれば実現できるのか――古今東西さまざまに議論されてきた。リアリズム、強力な世界政府、国家連合・連邦制、国連主義……。さまざまな構想が生み出されてきたが、ここで考えなければならないのは「平和」だけで良...
収録日:2025/08/02
追加日:2025/12/08
川出良枝
東京大学名誉教授 放送大学教養学部教授
4

『100万回死んだねこ』って…!?記憶の限界とバイアスの役割

『100万回死んだねこ』って…!?記憶の限界とバイアスの役割

何回説明しても伝わらない問題と認知科学(2)バイアスの正体と情報の抑制

「バイアスがかかる」と聞くと、つい「ないほうが望ましい」という印象を抱いてしまうが、実は人間が生きていく上でバイアスは必要不可欠な存在である。それを今井氏は「マイワールドバイアス」と呼んでいるが、いったいどうい...
収録日:2025/05/12
追加日:2025/11/09
今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授
5

自発性を重んじる――藤田一照師が禅と仏教の心を説く

自発性を重んじる――藤田一照師が禅と仏教の心を説く

禅とは何か~禅と仏教の心(1)アメリカの禅と日本の禅

大学院を中退して禅の道に進み、アメリカ東海岸で18年間禅堂を開いた藤田一照師に、禅と仏教の心について話を聞いていく。アメリカの禅にはすでに百年近い歴史があり、最初に鈴木大拙が伝えたといわれている。その後、一時はカ...
収録日:2024/08/09
追加日:2025/01/13
藤田一照
曹洞宗僧侶