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DATE/ 2024.03.25

環境汚染問題が浮き彫りに?海の哺乳類の漂着

 小売店でのレジ袋有料化がすっかり浸透した昨今。これは海洋プラスチックごみ軽減に、ようやく日本も目覚めたから義務化されたことなのですが、実はこの海のプラスチックごみの問題は、20~30年前から海洋生物の研究者の間では問題視されていたことなのです。

ストランディングという現象

 日本沿岸には海の哺乳類が海岸に打ち上げられるという現象が、年間300件前後起こっていると言われています。つまり、1日に1件程度は海の哺乳類が打ち上げられており、こうした現象を「ストランディング」、また打ち上げられた漂着個体を調査、研究することを「ストランディング活動」と言います。

 ストランディングの調査を長年行ってきた国立科学博物館の動物研究部脊椎動物研究グループ研究主幹・田島木綿子氏は、随分前から海岸に打ち上げられる海の哺乳類の胃の中にプラスチックごみが入っていることに着目していたそうです。最近、こうした現場の声からマスコミもかなり海洋プラスチックごみ問題を取り上げるようになり、一般の人の意識も高まってきたところでの、レジ袋有料化というわけです。

ストランディングから環境汚染問題が浮き彫りに

 しかし、田島氏がさらに懸念していることがあります。農薬や船艇塗料、携帯電話の難燃剤といった化学物質が海に流れ込み、生き物に大きな影響を及ぼしていると思われるからです。1962年にアメリカの生物学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を発表、DDTのような農薬に代表される化学物質による汚染で、陸の生き物に影響を与えることを訴えました。その後、人々の生活が豊かになるに比例して、海に廃棄される化学物質が増え、今レイチェル・カーソンが生物の危機を訴えたのと同じ状況が、海の生き物でも起こっているのです。

 人間が作り出したさまざまな環境汚染物質が海に流れ、微生物から小さな魚、大きな魚を経由して最後には海の哺乳類の体内に蓄積されていきます。田島氏は、世界で報告されている大量死したハンドウイルカの個体から高濃度のPCB、DDTが見つかったこと、乳腺がんを発症しているベルーガ(チョウザメの一種)の例などを挙げ、体内に蓄積した環境汚染物質は生物の免疫機能を下げてしまうのだと説明します。

 免疫力の低下が、本来死に至る程度ではない病気でも命とりにつながるのは、人間も海の生き物も同じこと。私たちは自分たちの豊かな生活のほんの付録のつもりで、有害物質を海に垂れ流してしまっていることを、よくよく意識しなければなりません。

無言の漂着物に込められたさまざまなメッセージ

 ストランディング個体は人間に海の生き物だけでなく、地球や人類を含むあらゆる生物の安全を守るために、このままでいいのか、どうしたらいいのか、と気づかせてくれる貴重な資料と言えるでしょう。

 とは言え、ストランディング個体が教えてくれることは、それだけではありません。まず、多くの博物館の展示標本として活用されています。田島氏のいる国立科学博物館のミュージアムショップでは、クジラのポスターが人気だそうですが、そのクジラの絵はストランディング調査で情報を得ることによって、実に正確な色やちょっとした模様を再現しているのだそうです。

 ときには、ストランディングから新種や珍種が発見されることもあります。例えば、タイヘイヨウアカボウモドキという非常に珍しい種類のクジラがいるのですが、これは長らくポスターには点線でしか描かれていませんでした。かなりの珍種で、誰も正確な色や形が分からなかったからなのですが、これも鹿児島県に漂着した1頭がきっかけで、きちんとした正確なイラストで私たちの目に触れることとなったのです。

 さまざまな病気や化学物質、プラスチックごみ…、ストランディング個体がどんなことが原因で死に至ったのか、まだまだ分からないことはたくさんあります。それでも、海岸に打ち上げられた海の生き物は、何も言わないけれども、いろいろなメッセージを発しているのです。今後も田島氏をはじめ研究者の皆さんがその解明に尽力されるわけですが、私たち一般の人がストランディングに関するニュースに関心を持ち、博物館や水族館に足を運ぶことが、その活動を後押しすることになるでしょう。
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今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授