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DATE/ 2022.05.31

『それでも言語学』で触れる言語の不思議、その意外な約束

 人類が共通して持つもののひとつ──それは「言語」です。それぞれの国や地域で使われている言語は違いますが、わたしたちは物心つくころには自然と自分の周りで使用されている言葉を話すことができるようになります。それはほとんど無意識のうちに行っているわけですが、いざ外国語を学ぼうとすると、そこには約束(ルール)があり、じつは言語はとても複雑なものだということを認識します。

 いったい言語にはどんな約束(ルール)があるのでしょうか。そこにどんな秘密があるのでしょうか。そこで今回取り上げたいのは、「言語」を探求している研究者のひとり、岐阜大学地域科学部シニア教授である牧秀樹先生の著書『それでも言語学―ヒトの言葉の意外な約束―』(開拓社)です。

 牧先生は、これまでに『誰でも言語学』『これでも言語学―中国の中の「日本語」―』(ともに開拓社)という、「言語学」の入門書を執筆されています。言語の不思議や、言語のたどってきた歴史を記してきた本シリーズに、本書が新たに加わりました。

 本書のサブタイトルに〝意外な約束〟とあるように、言葉にはわたしたちが気づかない約束がたくさんあります。今回は、牧先生の著書を通し、言語学の不思議な世界に触れてみましょう。

主語と動詞の関係は昭和のお笑い芸人〝ツービート〟に近い

 言語学を学んだという人は少ないかもしれませんが、ほとんどの方は義務教育のなかで英語学習に触れてきたと思います。たとえば、「見る」は英語で「see」ですが、主語が「I」なのか、「she」なのか、「we」なのかで、「see」のままだったり、うしろに「s」をつけて「sees」にしたりします。この「s」は、三人称単数の「s」といいますが、はじめてこの〝約束〟に触れたとき、多くの人は言葉というのは単純に単語を言い換えるだけではすまないということを学ぶのではないでしょうか。

 本書の1章のタイトルは、まさにこの「主語と動詞の関係」です。では、その章のなかで文法の説明がなされるのかといえば、そうではありません。1章の冒頭はこうはじまります。

《1980年代初頭に日本の演芸界で「漫才ブーム」が起きました。このブームを巻き起こした漫才コンビの一つが、ツービートです。》

「どうして言語学でツービートの話?」と思うかもしれませんが、前述した主語と動詞の関係は、まさにこのツービートの関係性に近いというのです。

言語の発達は進化にも関係している?

 ツービートの漫才は、ビートたけしさんが「ぼけ」、ビートきよしさんが「つっこみ」というスタイルを取っていました。たけしさんの言葉にきよしさんが歩調を合わせ、小気味良い言葉の応酬が当時、人気を博しました。牧先生は、このふたりの関係性を言語学に置き換え、つぎのように語ります。

《このAさんが出てきたら、Bさんが歩調を合わせるというような現象は、言語の世界でもはっきりとあります。それが主語と動詞の関係です。》

 主語がどんなものかによって、動詞が形を変える。つまり、先ほどの三人称単数の「s」に見られる現象です。これは英語だけに見られるものではなく、たとえばフランス語では、主語によって動詞が5つも変わります。もっと多く変わるものは、アフリカのスワヒリ語。現代スワヒリ語では、主語に応じて、なんと16種類も動詞に変化が見られるのです。じつはこの現象、日本語にも見られます。

 牧先生は、人間言語の特徴のひとつとして《「私とあなた」と「それ以外」を区別しようとしている》と語り、「ホモ・サピエンスが主語と動詞の間に密接な関係を持っている理由に対する仮説:生存有利仮説」を提唱しています。より原始的な生活をしていた時代、狩りの最中など、声を立てられないような状況でも、聞き取れる言葉や口の形を作り、それを主語と関係させることによって、目の前の状況を的確に、かつ短く伝えることができたため、より多く獲物を獲得できたのではないかと考えているのです。

 これはさらに検証が必要な仮説だということですが、人類全体に見ることができる言語の〝約束〟は、わたしたちの進化や進歩のプロセスに大きく関係しているのかもしれません。

さまざまな例えで表現される言語の〝約束〟

 こうした「ツービート」な関係は、生成文法用語では「一致」といわれます。しかし、本書ではこうした難しい用法は使用せず、共通しているさまざまな特徴や〝約束〟を、別の言葉や自然現象、科学現象と絡めて説明しています。

 化学好き、あるいは理系の方は、4章の「文の組み立て」に出てくる「化学反応」が、とくにおもしろく感じるかもしれません。文の仕組みは化学式に例えられる部分が多く、本書のなかではイオン反応の化学式を使った説明がなされています。ほかにも植物の成長過程で、日光を遮断する実験など、理科の授業で習うような事柄が、言語の世界で不思議な一致を起こすのです。

 また歴史好き、あるいは哲学好きの方は、8章に出てくる「孟母の約束」が興味深く感じるかもしれません。孟母とは、性善説を主張した中国の哲学者・孟子の母です。孟母を、言語を見守るわたしたちの母として登場させ、「一度に遠くに行ってはいけない」という〝約束〟を設け、文が崩れている、または文章として通じない文の理由を説明します。

 このほかにも、「関守の約束」=「動詞と親しくない領域から出てはいけない」、「姉の約束」=「働きたければ、最短で働きなさい」、「鵜匠の約束」=「見えなくなっても、安全第一に行動しなさい」といった〝約束〟が登場します。それらがどう言語学と関係しているのか、こうした言葉からでは想像がつかないかもしれませんが、英語や日本語、アイルランド語、モンゴル語など、さまざまな言語の事例から言語全体に共通している〝約束〟をひもといていくのです。

「教わっていないのに知っている」言語の不思議

 いま、世界には約6900もの言語が存在しているといわれています。もとをたどれば人類の祖先はみな同じとはいえ、何万年もかけて変化してきた言語に、共通の〝約束〟が存在しているのはとても不思議ですよね。

 本書の終わりに先生は、古代ギリシアの哲学者・プラトンについて語ります。プラトンは、学校に一度も行ったことのない召使いに簡単な図の問題を提示し、いくつかの質問を繰り返すことで、召使い自身が自分で答えを導き出すことを不思議に思いました。これは「プラトンの問題」と呼ばれるものですが、わたしたちの頭のなかには「教わっていないのに知っている」要素がたくさんあるとされているのです。

 《言語学は、このプラトンの問題をまず、明確にし、つまり、どんな、習っていないのに知っているような約束があるのかを明確にし、それが浮かび上がってきたら、そのような問題は、いったい何を意味しているのかを考えることです》と牧先生は語っています。

 わたしたちが当たり前のように話している言葉、その言語の〝約束〟を知ることで、人類の謎、言語の不思議に迫ることができるとすると、言語学への興味もふつふつと湧いてくるのではないでしょうか。そんなワクワクを感じた方、ぜひ本書を手に取ってみてください。

<参考文献>
『それでも言語学 ―ヒトの言葉の意外な約束―』(牧秀樹著、開拓社)
http://www.kaitakusha.co.jp/book/book.php?c=2371

<参考サイト>
岐阜大学・牧秀樹先生のホームページ
https://www1.gifu-u.ac.jp/~makijp/

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