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『陰陽師たちの日本史』でたどる陰陽師・千年の軌跡
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、安倍晴明(あべのせいめい)がメインキャラクターの一人として登場しています。安倍晴明といえば、「陰陽師(おんみょうじ)」の第一人者として有名です。しかし、陰陽師がどのような人なのか、また日本史においてどのような役割を果たしてきたのかを説明できる人は、安倍晴明の知名度ほど高くはないのではないでしょうか。
そのような、陰陽師の歴史初心者の疑問に応えてくれる一冊が上梓されました。タイトルはずばり『陰陽師たちの日本史』(角川新書)。著者の斎藤英喜先生は、佛教大学歴史学部歴史文化学科教授。専門分野は神話・伝承学で、研究テーマは日本神話および祭祀・呪術に関する研究です。
一般に陰陽道といえば、古代中国に起源する舶来思想と思われてきました。しかし、陰陽道という用語は中国の文献には確認されておらず、日本の平安時代中期(10世紀以降)の文献からあらわれると、本書の冒頭で斎藤先生は紹介しています。さらに、陰陽道の萌芽は、天文に秀でた能力をもって古代律令国家の成立を推し進めた天武天皇の時代に始まったといいいます。そして、陰陽道にたずさわる専門家としての陰陽師が誕生しました。
平安時代の初期までの陰陽師は、「陰陽寮」という天皇直属の機関に所属する官人として、天体の動きで吉凶を占い、呪術を用いて邪気を払い、卜占を極秘で行うことなどによって、政治的な役割を担っていました。
つまり、陰陽師の役割は現代でいうところの国家官僚であったといえます。また、平安時代の中期には、有名な陰陽師の走りともいえる賀茂忠行(かものただゆき)が登場するなど、陰陽師たちが活躍しました。
そして、平安後期には源平合戦の時代に平家の運命を占い「さすの神子(みこ)」(予言者)と呼ばれた安倍泰親(やすちか)、室町時代には将軍の足利義満に重用された安倍有世(ありよ)などが活躍します。
さらに時代が下がるにつれて、陰陽師は暦や卜占を通じて庶民生活にも馴染みのある職業となっていき、法師陰陽師(僧で生活のために陰陽の術を行う者)などの民間陰陽師も登場します。
そして、江戸時代になると、安倍晴明の子孫で「土御門ブランド」の免許制度をとり陰陽道宗家となった土御門泰福(つちみかどやすとみ)が、幕府の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ)と結びつきます。
さらに江戸時代の後期になると、国学者の本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(ひらたあつたね)などが陰陽師と関係を深めながら陰陽道や天文学を学んだことによって、日本独自の学問体系や思想に大きな影響を与えていくことになります。
ただし、明治時代末期から大正時代にかけて、陰陽道は学問の研修対象として蘇ります。代表的な研究者は、国文学者かつ民俗学者で歌人でもあった折口信夫(おりぐちしのぶ)でした。折口の陰陽道(陰陽師)研究は、近代が封殺した陰陽道の復活だけにとどまらず、修験道や民間神道、さらには仏教史や神仏習合史といった日本の宗教史や思想史を浮かび上がらせました。
その後、陰陽道は戦後の高度成長路線が失速し始めた1970年以降の反近代主義の風潮、特に1980年代後半のポスト・モダン思想状況のなかでふたたび注目をあつめるようになります。それは、現代の陰陽師ブームや今なお高い安倍晴明人気につながっています。
本書を読むと、陰陽道が近代以前の科学とはちがう日本独自の技術体系の一つであり、日本の宗教観や思想に多大な影響を与えたことが通史として学ぶことができます。そして、陰陽道を駆使して時代を読み、千年を超えて歴史をつないできた陰陽師たちの、怪しくもあでやかな実像がうかび上がってきます。この機会にぜひ、手にとってみてください。
そのような、陰陽師の歴史初心者の疑問に応えてくれる一冊が上梓されました。タイトルはずばり『陰陽師たちの日本史』(角川新書)。著者の斎藤英喜先生は、佛教大学歴史学部歴史文化学科教授。専門分野は神話・伝承学で、研究テーマは日本神話および祭祀・呪術に関する研究です。
陰陽師は日本発祥の国家官僚だった!?
『陰陽師たちの日本史』は、宇宙や天文、星と人間とのかかわりを解き明かすことを任務とした「陰陽師」にスポットをあてながら、古代から近世を経て現代に至るまでの「陰陽道」の変遷をひもといています。そして、日本史の各時代のなかで、陰陽師が果たしたさまざまな役割を明らかにしています。一般に陰陽道といえば、古代中国に起源する舶来思想と思われてきました。しかし、陰陽道という用語は中国の文献には確認されておらず、日本の平安時代中期(10世紀以降)の文献からあらわれると、本書の冒頭で斎藤先生は紹介しています。さらに、陰陽道の萌芽は、天文に秀でた能力をもって古代律令国家の成立を推し進めた天武天皇の時代に始まったといいいます。そして、陰陽道にたずさわる専門家としての陰陽師が誕生しました。
平安時代の初期までの陰陽師は、「陰陽寮」という天皇直属の機関に所属する官人として、天体の動きで吉凶を占い、呪術を用いて邪気を払い、卜占を極秘で行うことなどによって、政治的な役割を担っていました。
つまり、陰陽師の役割は現代でいうところの国家官僚であったといえます。また、平安時代の中期には、有名な陰陽師の走りともいえる賀茂忠行(かものただゆき)が登場するなど、陰陽師たちが活躍しました。
カリスマ陰陽師・安倍晴明がもたらした変革
そこに、陰陽道のスーパースターにして日本随一の陰陽師と称された安倍晴明が登場します。安倍晴明は陰陽寮の所属でありながら、一貴族に対して、なかでも藤原道長のような時の権力者といえども、陰陽道をもちいた私的なアドバイスを行うようになります。斎藤先生は、安倍晴明によって陰陽師の役割が公から私へ変遷したことを指摘しています。そして、平安後期には源平合戦の時代に平家の運命を占い「さすの神子(みこ)」(予言者)と呼ばれた安倍泰親(やすちか)、室町時代には将軍の足利義満に重用された安倍有世(ありよ)などが活躍します。
さらに時代が下がるにつれて、陰陽師は暦や卜占を通じて庶民生活にも馴染みのある職業となっていき、法師陰陽師(僧で生活のために陰陽の術を行う者)などの民間陰陽師も登場します。
近世から近代の多様な陰陽師たち
戦国時代には、京都で最初にキリスト教に入信した賀茂在昌(ありまさ)が登場します。また、各地の戦国武将たちが軍師に陰陽師を登用したり陰陽師隊を重用したりするなど、独自の発展を遂げます。そして、江戸時代になると、安倍晴明の子孫で「土御門ブランド」の免許制度をとり陰陽道宗家となった土御門泰福(つちみかどやすとみ)が、幕府の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ)と結びつきます。
さらに江戸時代の後期になると、国学者の本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(ひらたあつたね)などが陰陽師と関係を深めながら陰陽道や天文学を学んだことによって、日本独自の学問体系や思想に大きな影響を与えていくことになります。
近代の陰陽師の衰退・現代の陰陽師ブーム
しかし、明治時代になると、いわゆる「陰陽師禁止令」が発令されます。さらに近代化を推し進める日本社会では太陽暦(新暦)の採用さることとなり、ひるがえって太陰太陽暦(旧暦)を基板とした陰陽道は文字通り存在意義を失い、陰陽師は歴史の表舞台から消えていきました。ただし、明治時代末期から大正時代にかけて、陰陽道は学問の研修対象として蘇ります。代表的な研究者は、国文学者かつ民俗学者で歌人でもあった折口信夫(おりぐちしのぶ)でした。折口の陰陽道(陰陽師)研究は、近代が封殺した陰陽道の復活だけにとどまらず、修験道や民間神道、さらには仏教史や神仏習合史といった日本の宗教史や思想史を浮かび上がらせました。
その後、陰陽道は戦後の高度成長路線が失速し始めた1970年以降の反近代主義の風潮、特に1980年代後半のポスト・モダン思想状況のなかでふたたび注目をあつめるようになります。それは、現代の陰陽師ブームや今なお高い安倍晴明人気につながっています。
本書を読むと、陰陽道が近代以前の科学とはちがう日本独自の技術体系の一つであり、日本の宗教観や思想に多大な影響を与えたことが通史として学ぶことができます。そして、陰陽道を駆使して時代を読み、千年を超えて歴史をつないできた陰陽師たちの、怪しくもあでやかな実像がうかび上がってきます。この機会にぜひ、手にとってみてください。
<参考文献>
『陰陽師たちの日本史』(斎藤英喜著、角川新書)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000728/
<参考サイト>
斎藤英喜先生のツイッター(現X)
https://twitter.com/saitokutakuta
斎藤英喜先生の公式サイト(斎藤英喜の部屋)
https://saito.ehoh.net/
『陰陽師たちの日本史』(斎藤英喜著、角川新書)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000728/
<参考サイト>
斎藤英喜先生のツイッター(現X)
https://twitter.com/saitokutakuta
斎藤英喜先生の公式サイト(斎藤英喜の部屋)
https://saito.ehoh.net/
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