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DATE/ 2024.09.17

『ひっくり返す人類学』で学ぶ「そもそも」を問う意義

 私たちの社会では普段、子どもたちは学校に通い、大人は仕事に行き、富を蓄え、そして人生の終わりはお葬式をしますが、私たちとはまったく違う社会、例えば狩猟採集を行っている社会では、これらは当たり前のことではないでしょう。こうなると、「そもそも」なぜ私たちの社会はこうなっているのか、という疑問がわいてきます。

 こういった私たちの常識や「当たり前」に対して「そもそも」という問いを投げるのが人類学です。今回紹介する本『ひっくり返す人類学――生きづらさの「そもそも」を問う』(奥野克巳著、ちくまプリマー新書)は、私たちをこのような人類学の入り口に招待するものです。

 著者の奥野克巳氏は1962年滋賀県生まれの人類学者。一橋大学大学院社会学研究科で博士後期課程を修了したのち、現在は立教大学異文化コミュニケーション学部教授です。先住民の住む場所に赴き、フィールドワークを行っています。著書としては『「精霊の仕業」と「人の仕業」――ボルネオ島カリス社会における災い解釈と対処法』(春風社)、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房、のちに新潮文庫)、『はじめての人類学』(講談社現代新書)など多数あります。

そもそも「学ぶ」ために学校は必要か

 カナダ北西部に住むヘヤーインディアンという狩猟採集民には、「教えてもらう」という考え方がありません。あらゆることが「自分で観察して覚える」というやり方なのです。また、このことで彼らはものの形などを記憶する能力が非常に高いとのこと。これに関連して奥野氏は、自身がフィールドワークを行っているボルネオ島のプナンという狩猟採集民族の例を取り上げます。

 プナン社会では親子関係が密接で、親はゆっくりと時間をかけて子どもたちに染み込ませるように、さまざまな能力や知識を身につけさせます。一方、彼らは学校に行けば忘れ物をして怒られたり、いじめに直面したりといったことが起きます。そこで、州政府はプナンを優遇する教育政策をとっていますが、彼らは親から離れて学校に行きたいと思いません。親も行きたくなければ行かなくてもいいと言います。

 こうしたことから、プナンの子どもたちの学校への定着率はあまり高くありません。しかし、奥野氏は「プナンの振る舞いは、近代民主主義社会の価値観に対して、根本的な疑問を投げかけているように思える」と言います。そうして「私たちが『学ぶ』ことができるのは、学校が唯一の場なのでしょうか?」と疑問を述べます。そして、プナン社会のやり方や考え方から、近代の学校教育のあり方をひっくり返してみて、「学び」の根本に立ち返って探ってみるべきなのではないか、と言います。

権力を消し去る社会システム

 次に貧富の問題について考えてみます。現代社会では、上位10%の富裕層が世界全体の所得の52%を占めています。これに対して、下位50%の所得の人たちが全体に占める割合は8.5%です。持つ者と持たざる者は、全く別の世界を生きているかもしれません。これに対して、先のプナン社会は「シェアリング・エコノミー」です。誰かが得た獲物はできる限りコミュニティ全体でシェアされます。

 ただし彼らに独占欲がないわけではなく、子どもが幼いうちに徹底して独占欲を削いでいくそうです。一般的にシェアリング・エコノミー社会の語彙には、「お願いします」や「ありがとう」といった言葉はありません。ただしプナンの社会では、より積極的に分かち合う行為を行う人物が「ラケ・ジャアウ(英語でビッグマンの意味)」と呼ばれ、いわゆるリーダー的な立ち位置となります。このビッグマンの周りにはいろいろなものや人が集まります。

 一方で、このビッグマンが蓄財しだすことを周囲は見逃しません。もしビッグマンが独占欲を見せはじめたことを察知されると、人々は見切りをつけて離れ、別のビッグマンのもとに向かいます。このようにプナン社会では「ケチはだめ」「寛大であるべき」という社会の根本原理によって、誰かに富が蓄積したり、権力が一人の人間に集中したりすることを防ぐ仕組みがあります。

死をどう扱うか

「死」に対する対処の仕方も、プナンの人たちと私たちとでは大きな違いがあります。プナン社会では、人が死ぬと、残された近親者たちが名前を変える「デス・ネーム」という習慣があるそうです。また、プナンは死者のことを口にせず、死者にまつわる一切合財を取り壊したりもします。つまり、プナンでは死者をこの世からいち早く消滅させることに意を注ぎます。これは、戒名をつけたりして死者を「死者化」した上で弔う日本の習慣とは大きく異なります。

 こういったプナンの「死は忘却されるべきもの」という考え方は、より原初的だと捉えられますが、最近の日本での葬儀はどんどん簡素化しています。奥野氏は、現在日本で進んでいるこの「葬儀の消滅」といった状況から、個人の死が相対的に重要なものでなくなりつつあると捉えます。日本では、死の原初形態への原点回帰が起こっているのかもしれません。この背景にあるのは日本の経済的環境の変化ですが、奥野氏は、現代社会が日本人の死をひっくり返しつつあるのかもしれないと述べています。

自然をどう捉えるか

 本書の最終的な部分では、先住民の自然観についても触れられています。私たちは自然を人間の外側に置いています。例えば、河川であれば、治水工事をしたり利水したりする資源(対象)として捉えます。一方、先住民たちは自分や動物たちが暮らす山や川といったものも含め、全てを総体として捉えます。これに関して最近、ニュージーランドの先住民マオリが暮らすワンガヌイ川に対して、政府が法人格を認めました。これを奥野氏は、「人間以外の存在と人間と連続性のもとで世界を分かち合い、生き残っていくための『知恵』である」と言います。

 こういった先住民の考え方やものの見方を知ることで、私たちは「そもそも」と問題をひっくり返して考えることができるようになります。このように問題の根本を問いなおすと、より本質的な議論へと階段を一歩上がることができるのです。このことは、あらゆる問題が臨界点を迎えているように思える現代では、大きな意味があります。ぜひ本書を開いてみてください。これまで自分が当たり前だと思っていたさまざまな考え方やルールへの見方にゆらぎが生じ、私たちの社会にとって貴重な「問い」を提供してくれるはずです。

<参考文献>
『ひっくり返す人類学――生きづらさの「そもそも」を問う』 (奥野克巳著、ちくまプリマー新書)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684912/

<参考サイト>
奥野克巳氏のX(旧Twitter)
https://x.com/berayung?

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