●これからの「秀才」は歩く百科辞書ではない
次は教育の話です。残念ながら従来の学校教育には、AIやコンピュータに代替されやすい能力を養成してきた傾向があると思います。今の子どもの学校の勉強を見ていてもそうですが、ひたすら暗記をさせて知識を詰め込み、それに対してどれだけ覚えているかを理解させるという教育が、いまだに行われています。でもこういうことは、ほとんど意味を持ちません。
取材に来たいろいろな人によくお話しする例で、昔は「百科事典みたいな人だね」というのは、かなりの褒め言葉でした。そういう人を本部会や営業に連れて行くと、知らないことがあってもすぐに「ああ、それは実は何年前にこういうことが起きて」と話をしてくれるので、とても助かったわけです。ところが残念ながら、今はそんな人を必要としません。みんなスマホかタブレットを持っているので、ウィキペディアなどで引けばすぐ出てきます。ウィキペディアという百科事典がそこに入っているからです。
昔はある程度知識を持っているとか、覚えていることにとても価値があったのですが、スマホが片手にある時代には、その必要性はビジネスにおいて、かなり下がっています。むしろ重要な能力は、その情報を元にして、お互い「ああ、こう分かりましたよね」というところから話をどう広げていけるか、交渉を続けていけるかにあるはずです。
ところが、そこに対する教育が残念ながら行われていないのです。知識や暗記能力を問うても、AIには簡単に負けてしまいます。AIに代替されない能力を、学校教育でどうやって育てていくか。そのための入試をやっているのは東大ではないのかと言われると、返す言葉もありませんが、先ほど申し上げたように、私はいわゆる東大入試は一回も受けたことがないので、そこは許していただけないかと思っています。
残るは理系と文系の融合です。これは本当に必要なことで、そこが完全に分かれてしまうことが問題だろうと思います。
●リーダーシップと迅速さという巨大なメリット
最後に、これまで申し上げた構造の中でいくと、何が起こってくるかをお話しします。社会構造の非常に大きな変化が起こっていて、その変化にうまく対応していかなければいけません。そうすると、どちらかといえば小さくて新しい会社が、世界を相手にビジネスできる時代になっています。例えば、最近話...