●「父祖の遺風」と新渡戸稲造の『武士道』
私は日本人に父祖の遺風を分かりやすく伝える場合には、やはり武士道の教えというものが大きくオーバーラップする気がします。「武士道」というと、なんとなく切腹などを考えがちですけれども、そうした荒っぽい、硬派な武士道ではなく、新渡戸稲造が『武士道』という本に書いたようなことです。この本はもともと非常に優れた英語で書かれており、今いくつかの出版社で翻訳されています。新渡戸稲造は1862年、つまり幕末の生まれで森鴎外と同じ年ですが、あの時代の人たちの英語力はすごいものがあるなと思います。
●日本人のふるまいの根拠は武士道にある
彼が『武士道』を書いたのはなぜか。ヨーロッパには一神教的な宗教があります。それはキリスト教ですが、それよりも東の方に行くと中東あたりにはイスラム教があり、それからユダヤ教の伝統もあるわけです。そういった一神教的な神の存在があって、その中でモラル、道徳が育まれていくというのが欧米人の考え方でした。しかし、幕末から明治にかけて、(欧米から人が)たくさんやって来るのですが、どうも日本人はそれほど宗教に熱心であるわけではないし、その宗教もいわば仏教であったり儒教であったりといった、欧米の人たちから見れば多神教的な宗教であるわけです。そんな中、なぜ日本人はあれだけ礼儀正しく、きちんとした行動ができるのか。そのことに疑問を抱いたといいます。
一方、新渡戸は欧米、特にアメリカに長く留学し、そこで仕事にも励みますが、周りの人たちからそのことを聞かれた時、最初彼は返事ができなかったそうです。確かに言われてみれば、日本人は礼儀正しくて、いろいろな面で誠実です。その根拠はどこにあるのかと、たどっていった時、彼がはたとして気が付いたのが「武士道」でした。
すでに江戸時代ではなかったのですが、やはりそういうものがその頃の明治の人たちには何となく受け継がれていて、彼はそれをたどっていき、『武士道』という本を書くことになるのです。『武士道』の中では、祖先の遺風であるとか、他人に対する思いやりといったことを繰り返し教育として受けてきたということが書かれているのです。
●父祖の遺風と武士道の共通点-生活全般の心構え
ローマの父祖の遺風を考えると、ちょうど武士道と重なるところがあります。武士道というと、かつてはヨーロッパ中世の騎士道と同じ時代であるということと、武人の教えというような点で、武士道と騎士道がよく比較されたのです。ですが、私が研究しているローマ史を見ると、武士道と重ねていいのはどうもローマの父祖の遺風の方ではないかと思えるのです。
騎士道というと、それは戦いにおけるルールというだけではないのでしょうが、ルールをきちんと守って戦うという、そういった狭い意味になるのではないかと思います。父祖の遺風はそれだけではありません。生活全般に関して、どういう心構えで生きるかということを考えた時、父祖の遺風と武士道は非常に相通じるものがあると思います。
●ローマは古代の遺風と人から成る-キケロ
「より誠実でありたい」という意識が強いとはいっても、ローマ人も人をだましたりするでしょう。しかし、『三国志』や『水滸伝』に出てくるような「だませばいい」というような、そうしただまし方は、あまりローマ人は得意ではありませんでした。どちらかというと正攻法の形で戦争をしたり、あるいは他国と交渉したりします。父祖の遺風、日本風にいえば武士道ですが、そこにどこか相通じるものがあり、それがローマ人の行動規範を支えてきたのではないかといわれています。これがキケロの言葉でいう、「ローマは古代の遺風と人から成る」ということです。
この遺風とは先述した、古来の「父祖の遺風」のことです。「古来からの教えと、そしてその教えによって育まれた人から成っている」というところに、ローマ人の強みということです。そのことを、カエサルと同じ時代に生きていた大弁論家であり知識人であるキケロが、自分たちローマ人に対して、「ローマ国家というものは父祖の遺風とそれによって育まれた人間によって成り立っているのだ」と言っていたのです。ローマ人は、そういった父祖に恥じないように生きるということを、より強烈に意識した人たちであって、そのために数多くのポリス(都市国家)の中で勝ち残り、大国にのし上がっていったのではないかと思います。
●ローマの国防意識を現代の教訓に
現代の基準からすれば、強国になり、敵と戦って征服し、ねじ伏せて、というようなことは必ずしもいいことではないという判断もありますが、人間は少なくともこの5千年ほど、そうしたことを繰り返して生きてきたわけです。それを放棄したら、国家や社会が全く成り立たなくなってし...