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戦後日本の経済的奇跡は時代の特異な環境がもたらした

日本 呪縛の構図~日本の重要性と懸念(2)日本の発展モデル(通訳版)

R・ターガート・マーフィー
筑波大学名誉教授
情報・テキスト
『日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来』(下)(R・ターガート・マーフィー著、仲 達志・訳、早川書房、2015年)
筑波大学名誉教授R・ターガート・マーフィー氏は、戦後日本の経済復興と高度成長を、あの時代の特異な環境がもたらした成果だったと位置付ける。その上で同氏は、日本が産み出した成長モデルこそ、その後のアジア地域に広まり、そして米ドルを基軸とする体制と表裏一体となって、現在の政治経済を支えてきたと述べる。(2016年12月6日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「日本 呪縛の構図~この国の過去、現在、そして未来」より、全6話中第2話、通訳:福原利夫氏)

●日本の「経済的奇跡」は、「奇跡」ではない


Murphy :So the first lesson that I wanted people to take away from this book, the first lesson was the so-called economic miracle of the 1950s and 1960s, maybe it wasn't a miracle, but it is really the key to understanding the contemporary, not just contemporary Japan, but the contemporary global political and economic and financial order.

福原(通訳):この言葉、日本人としては懐かしいのですが、昔はよく日本のことを「エコノミックミラクル(経済的奇跡)」と言われました。最近では全然そういうことは言われません。実際に50年代、60年代、70年代の日本経済の発展は、本当に奇跡と言ってもいいぐらいの素晴らしいものだったのですが、この「経済発展」という言葉自体が最近ほとんど死語で、私自身、言いながら懐かしいと思っていますが、この経済発展を理解するためには、ただ単に日本国内のことを考察するのではなく、グローバルな視点で分析することが重要だと思っています。

Murphy :The economic miracle so-called was rooted in the peculiar circumstances of the early 1950s and I am really hoping that scholars and other interested people will revisit those days and the early postwar world. There is a tendency now among a lot of analysts to pooh-pooh what happened. You know, they say, well Japan was really unique, West Germany was doing the same thing, METI was arrogantly picking winners, which turned in the long - out in the long turn to be a bankrupt strategy.

福原(通訳):この日本の経済発展、経済的奇跡は、もともと1950年代に発端があるわけですが、いろいろな経済学者やアナリストは、この驚異的な経済発展を割と軽視し、あまり大したこととして解釈しない傾向があります。というのは、「ドイツもかつてはすごかったじゃないか」「通産省の主導もあった」と彼らは言うのです。当時の通産省は、経済政策によって「この会社は残してもいいけれども、この会社はつぶす」など、自動車業界では実際にそういう話がありました。この通産省の主導は、初期には効果があったかもしれませんが、実際にはほとんど無力化され、ほとんど意味がなかったと後年になって分かるわけです。そのような1950年代からの状況から、まず理解することが重要だと思っています。

Murphy :But we really need to look back at the circumstances of those years. First of all, Japan was facing a harrowing balance of payments situation. Secondly, the U.S. was becoming increasingly impatient after drain of helping Japan. Thirdly, the obvious escape or the obvious solution to these problems, which were export sales to China were closed, because the U.S. would not tolerate any business with the newly established People’s Republic.

福原(通訳):1950年代はどういう時代だったかと言いますと、今から考えると信じられませんが、日本は当時、貿易赤字を抱えており、アメリカもそれを非常に問題視していました。当時の日本の貿易はほとんどがアメリカに対する輸出で、その結果、貿易赤字を抱えていたわけですが、ではどうしたらいいかというと、日本の立場からすると、中国への輸出という道がありました。しかし、1950年代においては、アメリカはそれを許さなかったという事情がありました。


●日本を、社会主義に対抗するための発展モデルにする


Murphy :What the MIT historian John Dower called in his book, the inescapable embrace of the U.S. occupation followed by the U.S. alliance, meant that another option which was Indian or Latin American style import substitution was not available to Japan.

福原(通訳):当時、日本は独立を勝ち取ったわけですが、その時点でインドやタンザニアなどの旧植民地の国々が独立を勝ち取るというような同時進行があったのです。ただし、それらの国は、その独立によって、今までは外から無理矢理買わされていたものを、自国で生産し始めました。では、日本も同じように、アメリカから買っていたものを日本で生産できるようになったかというと、当然できなかったわけで、その辺りが同じ時代に独立を勝ち取った他の発展途上国とは大きく違っていました。ですから、日本はアメリカの占領およびその後の同盟関係を、結局は受け入れざるを得なかったという状況があったと思われます。

Murphy :And then there was also a very real threat of leftist takeover in Japan. There was a socialist government in 1948 and this all occurred against a background of wider e...
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