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赤壁の戦い後の立て直しに見る曹操の革新性の本質

「三国志」の世界とその魅力(3)曹操の革新性(後編)

渡邉義浩
早稲田大学常任理事・文学学術院教授
情報・テキスト
赤壁の戦いで敗れた曹操だが、この敗戦からの立て直しにこそ、彼の革新性の本質を見ることができると早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩氏は語る。中国統一を阻む最大の壁「儒教王国・漢」に、曹操はどのような策をもって向かっていったのか。前回に続き「曹操の革新性」について解説する。(全6話中第4話)
時間:10:47
収録日:2017/11/10
追加日:2018/02/15
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≪全文≫

●曹操の中国統一を困難にした要因-1.水軍の不備

 
 赤壁の戦いで敗れた曹操でしたが、その後の立て直しにも曹操の革新性が非常に発揮されていきます。実は、中国を統一するということに関しては、曹操は赤壁の戦いの後、やや諦めた感じがするのです。

 なぜかというと、中国を統一していくということは具体的には呉の孫権と蜀の劉備を破っていかなければならないわけですが、長江というほとんど海のように大きな河があるため、水軍を持たなければいけないのです。ところが、曹操の軍隊はもともと陸での戦いのための軍隊なので、水軍を持っていません。そのため水軍の養成を始めていくのですが、間に合わないと感じていたのだろうと思います。


●曹操の中国統一を困難にした要因-2.儒教大国・漢

 
 そして、何よりも呉、蜀といった国家を滅ぼすよりも、400年間続いている漢という国家を滅ぼしていく方が、よほど大変だということが予想されたわけです。それは、後漢という国が儒教に支えられていた国家だったからなのです。儒教というと、日本では朱子学のイメージが非常に強いので宗教という感じがしないと思うのですが、朱子学は朱子が儒教から宗教性を一生懸命抜いた結果として哲学になったわけで、漢の儒教はあたかもローマのキリスト教のように、国教化されて漢を支え続けたのです。

 例えば、漢という国家は孔子が『春秋』という本を書いてその成立を保証し、漢のための制度は『春秋』に著されていたのだ、といわれていた時代なのです。ですから、その時代の知識人の学ぶものは儒教ですから、諸葛亮も荀イク(ジュンイク)も漢を復興していくことを目的としていたわけです。魯肅(ロシュク)のように「漢は滅んでしまうのだ」と考えていた人は、むしろ例外的だったのです。

 そうした中で、曹操は漢を滅ぼさなければいけない、その準備をしなければいけない、と考えます。そうなると、名士は儒教的な価値基準に基づいた名声を持っているので、どうしても曹操はこの人たちとぶつかっていくことになります。荀イクという長年曹操を支えていた人を殺害してまで漢を変えていくのだという意志を示すのです。それで統一されていればいいのですが、まだ劉備や孫権がいます。しかも、劉備は漢の一族を名乗っているわけですから、漢と儒教の関わりをなんとか切らなければいけないという問題の方が、呉や蜀を滅ぼしていこうという問題よりも大きかった、と後世から見れば考えられるわけです。


●他の宗教に置き換えられないほど強大な儒教の力

 
 そのために曹操は何をしていったか。仏教がこの時代に入っていたので、仏教儒教に換える。あるいは、黄巾の乱を起こした太平道、そして五斗米道もあるのですが、この頃はそれをもとにして道教という中国の民族宗教が出来上がる時期で、特に道教側は曹操に対して、真人という称号を与え、「曹操は真人なのだ。皇帝になるべきなのだ」といってくるわけです。ですから、そうした宗教性を利用していきます。儒教は宗教ですし、そういった手段もあったのだと思います。

 こういうことを具体的にやった国もあります。北魏という国家が道教を国教化していますし、隋は仏教を国教化しています。だから遣隋使を送った日本には、国分寺や国分尼寺が置かれていたわけです。つまり、支配に利用したものなのです。ところが、隋も北魏も50年ももたないのです。儒教はそれほどまでに強く、他の宗教に置き換えられるというものではないのです。ですから、儒教の内部、教義を変えてもらわなければいけないというようなことになります。


●儒教の「孝廉」より文学の「詩言志」で人材を見極める


 そこで、曹操が何を出してきたのかというと、文学なのです。なぜ、文学なのか。文学は儒教でどのように位置付けられているかというと、心の中にいるときは「志」で、それが言葉になって口から出てくると「詩」になる。「詩言志」といって「詩は志を言う」ということなのですが、自分の志が反映されているものが詩ということです。だから、その詩によってその人物が何をしたいのかということが判定できるということで、詩を官僚登用やその出世の基準としていったのです。

 そうすると、それまで儒教は、「孝廉」といいますが具体的には「親孝行である」「金に汚くない」といったことを非常に尊重していたので、孝廉に努めようとした。「孝」とは親孝行のことですから、親のために大きな墓をつくり、そこに莫大な金銀財宝を入れる。でも結局、入れたことを見ている人がいるので、墓は掘り返され、金銀は奪われ、死体は捨てられるということになっている。こういった合理的でないことを、曹操は非常に嫌ったのです。

 そういうことなので、孝とか廉、人として優れているということよりも、才能がある、志がある、そ...
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