●ケンブリッジ大学は知る人ぞ知るスパイ養成大学だ
質問 イギリスのインテリジェンスについて、お話ください。
中西 イギリスの場合、一番典型的なのは、MI5やMI6などの情報部です。情報部員がソ連の実はスパイだったということも多いです。例えば、キム・フィルビーがそうです。
日本にとっても教訓的なことですが、非常に重要なことは、ケンブリッジ大学は知る人ぞ知るスパイ養成大学だということです。私はたまたま京大の大学院からケンブリッジ大学に留学しました。
ケンブリッジ大学はMI5もMI6も直結していますし、私のついた国際政治学の指導教官ハリー・ヒンズリー教授は、もともとはイギリス情報部の本家本元MI6で働いていた人です。戦時中、戦時動員で大学院生のままイギリス情報部に入り、ドイツ語がよくできるので、ドイツの暗号解読部局に所属しました。そして大活躍をして、大西洋を越えてくるアメリカの輸送船をドイツのUボートから守り切ったのです。最近になって、こうしたことが分かりました。
ヒンズリー教授は、ドイツ海軍が飛ばすUボート向けの暗号を全て解読する、系統的な手段を開発したのです。戦後は、アメリカ人ではないのにハリー・トルーマン大統領から国家最高勲章をもらっています。若干30歳ぐらいでの大活躍でしたから、大変な功績でした。彼が亡くなったのは98年ですが、99年頃になって彼の一番のお弟子さんが、ケンブリッジ大学の同窓会の会誌にこうしたことを発表するのです。われわれみんな腰を抜かしてびっくりしました。何十年も付き合いがあったのに、ヒンズリー教授自身は一言もしゃべらなかったのです。
●ケンブリッジには、ソ連のリクルーターがいた
中西 あの時代のケンブリッジには、そういう人がたくさんいました。ヒンズリー教授はいわゆるプロのスパイではありませんが、本職のスパイになったケンブリッジ出身のキム・フィルビーやドナルド・マクリーン、いわゆるケンブリッジファイブという5人組もいます。彼らは大学時代にリクルートされています。ケンブリッジには、ソ連のリクルーターがいるのです。
卒業生が将来のエリートになるという有名大学には、必ず敵性国家のリクルーターがいます。イギリス人でその国の有名教授が、リクルーターなのです。彼らを一手に差配していたのが、ロンドンにいたオットー・カッツというコミンテルンの大立者です。
そうすると、ケンブリッジで何人もの学生がみんな引っ掛かるわけです。リクルーターである教授は、指導学生が卒業するときに非常に内密に就職先を指定します。就職先の順番が重要です。1番は外務省や内閣ではありません。上位4つぐらいまでが情報部局です。
1番は、MI5です。MI5はカウンターインテリジェンス、つまりスパイ取り締まり機関です。2番が、GCHQというイギリスの非常に高度な暗号解読部局です。教授は学生をそうしたところに潜り込ませようとするわけです。そうすれば、イギリスがどのようなものを暗号解読しているのか全て分かってしまいます。これはものすごい力になります。3番目がMI6、4番目は他の情報部局です。
「キム・フィルビー、君はMI6に行きたまえ」「ガイ・バージェスはMI5行きたまえ」と、5人のケンブリッジ学生の若いソ連スパイの卵たちは、各所に投入されていくわけです。
就職先で次に重要度が高いのは、BBCです。1930年代の話ですから、BBCは重要でしょう。次が財務省です。このように、外務や陸海軍が全然出てきません。その辺は小物がやるのでしょう。財務は、やはりシティーあるいはイングランド銀行との関係が重要です。ソ連は金融情報を押さえようとしていたのです。ケンブリッジファイブのうち、2人が財務に行っています。ジョン・ケアンクロスと、後に王室美術顧問になるアンソニー・ブラントです。
ブラントは古美術の専門家になって、後にバッキンガム宮殿にアクセスできるようになり、ジョージ6世とは2人で話ができる間柄にまでなりました。ソ連のコミンテルンは大喜びします。ブランとは国王との会話を全て報告できる立場になったのです。
いずれにせよ、学生をどんなところに就職させるのかを見るだけでソ連の狙いが分かります。戦後の日本では、相当左翼が強い時代ですから、東大法学部などにもソ連のリクルーターが入っていたでしょう。
●インテリジェンスの世界に同盟国はあり得ない
中西 アメリカの場合、留学生が狙われます。ハーバード、ケネディスクールに日本の若い公務員が留学することがあります。そうすると、親日家の先生がたくさんいて、懇切丁寧に指導してくれます。各役所は喜んで次の代、次の代と何人も送り込むようになります。
日本の若い公務員をグループにして互いに情報を与え合うようになります。もちろん向こうはきちんと管理して情...