●どこの国にも民族のプロトタイプみたいな政治家がいる
中西 1930年代のイギリス保守党の政治家に、ハリファックス卿という人物がいました。ネヴィル・チェンバレン後の総理大臣になるとまで言われた人ですが、結局総理の座をウィンストン・チャーチルに譲って、自分はアメリカ大使になりました。宥和政策派として有名で、アドルフ・ヒットラーと手を結び、ヒットラーとスターリンに戦争させるのが一番だという路線でした。チェンバレンの宥和政策を共有していたのですが、チャーチルが頭角を現すと彼に譲ったのです。
イギリスの政治貴族の世界は、そういういわゆる腹芸の世界です。何代も前にさかのぼると、名誉革命を実行した家系につながっています。自分たち貴族の階級支配を続けるためには、王様でも売り飛ばすという、それぐらいの国家観の持ち主なのです。融通無碍というのか、平気でいろんな取引ができる人でした。
ヒットラーともすごく良い相性でした。何度も会いにいって、肝胆相照らしましたし、ヒットラーは話の分かる人物だからミュンヘンに行けとチェンバレンに勧めたのも、みんなハリファックスです。政治を裏で動かすというほどの辣腕(らつわん)ではなかったかもしれませんが、そういう哲学の持ち主でした。
しかも、相手を説き伏せたり、引き付けたりする力がものすごくあります。チャーチルがハリファックスをアメリカ大使としてワシントンに送りましたが、フランクリン・ルーズベルトは当初、ものすごい不信感を抱いていました。こんな宥和政策派を送ってきて、どういうつもりだと感じていたのです。しかし、あっと言う間にハリファックスのとりこになってしまいました。
アメリカのマスコミ、メディアも、最初は悪名高い人物だと評していたのに、いつの間にかすぐにハリファックスファンになっていたのです。アメリカにおけるイギリス諜報部であったBSC(ブリティッシュ・セキュリティー・コーディネーション)が活躍できたのも、ハリファックスがその地盤づくりに貢献したからです。
確かにハリファックスは得体の知れない人間ですが、18世紀ぐらいからイギリス政治史を見てくると、大貴族の政治家にはこういったパターンが必ず登場します。二階氏のような政治家も、日本政治では典型的なパターンの一つとして、ずっと存在してきました。例えば、大野伴睦などはそうでしょう。
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