●不良性は柔軟性
執行 (話は変わりますが)不良性とは悪い意味ではありません。不良性というと悪いみたいな印象があるが、不良性は柔軟性なのです。
定義としては、「損を覚悟の人生を送ることができる人」です。今の人は皆、そこのところを勘違いしています。昔僕も不良でしたが、不良とは何かというと「損することが分かっていてやる人間」です。だから形がどうこうではありません。
昔の学生服だと、ボタン外してホック外しているのが不良みたいな印象がありますが、あれは日本人皆が真面目で学生服をきちんと着ていた時代だからなのです。帽子も被っていたのを、取っただけで、僕は立教高校ですけど、池袋に先生がいて三回捕まったら停学です。まだそんな時代でした。だから、帽子を被らないで、ホックをとると不良になります。それは損と隣り合わせです。
だから今は、悪い格好して、茶髪に染めてロックンロールをするのは「優等生」だと僕は言っています。ロックンロールをしていると女性にモテてしまうから、優等生です。
今の時代の不良とは、僕が高校生ならやると思いますが、革靴履いて、ホックを閉めて、学生服を着て、帽子を被って革の鞄、こういうのが不良だと思っています。まずモテません。まずモテないのも損害ですからね。損するのはお金だけではありません。だから昔は不良というのは評判が悪くて、成績も悪くされる、先生から点を引かれる。それでやっていたから不良なのです。
執行 今の時代は不良というのは学生服をきちんと着ている学生です。だから僕が大学に入った年は、ちょうど昭和45年ですが、大学に入った年は、サリンジャーという人の『ライ麦畑でつかまえて』を皆読んでいて、これさえ読めば、女にモテると言われていました。僕は死ぬほどの読書家なのですが、普段本を読まない人もみんな『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいました。そして本当にモテてました。僕はこれさえ読めばモテると聞いたのですが、これも断じて読んでいません。今まで。これが不良なのです。これさえ読めば幸福になる、これさえ読めば何とか、例えば出世できるなど、そんなものを読むのが卑しい豚なのです。
―― それは反骨精神ということですね。
執行 当たり前です。それを本当に死ぬまで通せるかどうかです。僕は六十八歳になって、あとは死ぬまで通さなければいけないので、大変です。自分が弱くなりそうなところは抑えて、だから全員に宣言しています。僕は絶対に幸福にもならないし、不幸になるからと、みんなに言っています。家族にもです。
不良性とは柔軟性であり、反骨です。カッコよく言えば、反権力です。でも、それは絶対的に重大な思想だと思います。
神蔵さんも聞いたことがあるだろうけれど、政治家や実業家の子供で、早くから跡を継ぎたがっている者で、良くなる子供はいません。「政治家でも少なくとも二十代くらいまでは、親父と対立して嫌いだったけれど、そういう人が、親父が例えば亡くなって跡を継ぐと立派になる」と言われている。どういうことかというと、若いときに反権力の思想を持っていない人は碌(ろく)でもない人だということなのです。だから親が偉大なとき、親に反発する人間ほど、社会的にはいい人間です。それこそ、親が偉いほどです。
これは良い、悪いではありません。本当に親が人間的に良くても、例えば政治家でも医者でも偉いというだけで、反発心を感じるような子供でないと、何かできるということはありません。これが反骨です。そういう反骨精神を持った人というのは言葉としては「不良」です。だから(時代に認められている)ロックンローラーや茶髪は不良ではありません。あれは優等生でかわいい子ちゃんですね。餌出せば、すぐに食いついてきます。
―― これは時代背景を考えながら見ていかないといけないということですね。
執行 もちろん時代が変われば変わります。だからみんなが真面目になってくれば、ロックンローラーは不良なのです。ロックンローラーであることがみんなから軽蔑され、貶(けな)されという時代だったならば、ですね。
●PHP理念の意味
―― PHP理念について、焼け野原だから繁栄を通しての平和と幸福って意味があったということですね。
執行 そう当たり前ですね。焼け野原を前にして、いまの僕みたいに精神論を言う人がいたら馬鹿です。日本人が皆、食えなかったのです。闇で買わないと餓死した時代です。
僕は昭和25年生まれだけど、兄貴は昭和22年、東京は特にうちもそうです。親が闇の米を買ってくれたから今生きています。闇を買わなかった人は生き残っていません。その時代に精神論を言う人は駄目です。僕はその時代だったら精神論を言いません。
今、金と物質のことを言う人は逆に駄目です。だからこんな時代に経済成...