●不合理と科学
執行 楠木正成の生き方が、僕は武士道の頂点にあると思います。
―― 楠木正成は、無謀な戦いを後醍醐天皇に命じられても、恨むなという感じで行くわけですね。
執行 だからあれがやっぱり本当の生き方です。合理的な人ほど、本当の合理を捨ててしまいます。僕はすごく不合理で生きてきている人間です。武士道は不合理ですよね。僕はそのような不合理なものを信じ、不合理を愛して生きてきているので、すごく合理的なのです。これはどんな社員と話をしていても、そうです。科学的というか、不合理な人間だからこそ、科学がよく分かります。科学的と言われている人は逆に駄目です。それは科学の盲信者ですから。
要は、迷信家です。だから科学文明や科学を信じている人は、科学の迷信家に成ってしまいます。僕は武士道という不合理が好きで、科学はくだらないものだと思っているから、正確に見ることができます。だからすごく科学的です。みんなびっくりします。
だから、私の商売もずっと儲かりっぱなしで、三十五年間下がったことが一回もありません。無借金で、お金は借りたこともありませんし、今もお金はざくざくです。誰かに頼ったこともありませんし、人にものを頼んだこともありませんし、関連会社もありません。全部自分で研究して、特許をとって作って売り、在庫もゼロです。売れる分しか作らないのです。
資本主義の原初の形態です。マニュファクチュアの資本主義の原初段階が我が社だとみんな言っています。この資本主義が全てごまかしで無くなってしまったのが現代です。アメリカあたりが二十世紀初頭に「大会社」をつくった頃からおかしくなってきました。
―― 自分で作って自分で売っているわけですから、一番わかりやすいですね。
執行 会社もずっと儲かりっぱなしです。なんとかここまできて、後ここからいくと、変に世の中に組み込まれるのが一番怖いです。だからそこの舵取りが大変です。
―― 敢えて大きくしないから、自由度を保っている訳ですね。
●商売の自由度
執行 僕は商売を始めたときに言っていますが、商売は何のために始めたのかということです。うちの場合は、商売は僕が立てた「志」を実現するためで、実業家が志を実現するためにやっているのが商売なのです。だから、その志が駄目になるところがどこかということの見極めが大切ですね。職種によって大きさは違うと思います。松下幸之助は、そこは逸脱したと思います。
―― だから不幸になったのですね。重たくなりすぎたのですね。
執行 そうだと思います。言葉としても、戦前の二、三百人でやっていた頃は楽しかったということをどこかで読んだことがあります。やっぱり家電だとそうだと思います。昔の家電だとそうですが、今だと家電の場合だと三千人あるいは五千人くらいです。そうすると事業として楽しくできます。
僕の場合は、志を実現するために会社を立てたから、それが従業員の数や、売上や、会社の伸び方がどの程度かということをいつも模索しています。それでそこを過ぎそうになると、僕は商売を変な言い方ですが、自分でぶち壊しています。例えば、社員に対して、売り方をもっと正しくして厳しい売り方をしろと言ったら、売上は減ります。それをしょっちゅうやっています。仕方がないですが、そうしないと売上は調子いいことを言うと、どんどん上がっていきます。それをどう叩いていくかが重要なのです。
―― 自由度を失うところまで大きくしたら、我利我利亡者の方にいってしまいます。
執行 いってしまいます。これは仕方がありません。
―― グローバリゼーションって、結局、我利我利亡者にならないとグローバルの中で生き残れないサイズの業種は悲惨なことになってしまうのですね。
執行 ただ、普通の人がそうなってしまうのはどうしてかと言うと、「頼る」からです。僕も他社や、売ることも流通経路に頼っただけでもグローバリゼーションに巻き込まれます。これはロット数によって値段も変わってきます。
うちのような会社は全部マニュファクチュア(工場制手工場)といって自分で開発して、自分で作って、自分で売っています。形態としては一軒の店と一緒です。この範囲から僕は出ないようにしています。その範囲のままでどこまで大きくできるかが問題ですが、これは分かりません。ただ自由度というのは失ってくると分かるのです。うちはこれで最優良会社と言われています。
●幸之助の幸福とは
執行 松下幸之助がなぜ事業をやっているかというと、これは出光佐三とも似ていますが、人間の生き方、人間がどう生きるのが正しいのか、美しいのか、人生が豊かなのかを問うためなのです。それ崇高さというのです。ざっくばらんに言うと、そのためには人間は苦しまなければなりません。苦...