●人類の文明的敗戦
―― 松下幸之助が敗戦のときにPHP理念を唱えたのは予言者、革命家であった、と仰っていますが、まさに同じことが、これから確実にまた敗戦が来るのですね。
執行 あの時は戦争だったからすごく分かりやすいです。でも今後来る敗戦はもっと大きいのです。精神の崩壊です。昔は物質の崩壊だから、あの時の敗戦は悲惨ではあるけど、簡単で分かりやすいです。
今度は悲惨で分かりにくいです。人間が全員、家畜化されるが、家畜は家畜になったとは分かりません。家畜は家畜になるほど、自分たちは「幸せ」だと思うので、厳しいのです。だから松下幸之助の頃よりももっと大きい敗戦になります。これは僕に言わせると「人類の文明的敗戦」です。だから大きいです。
でも本当の敗戦が来るから、人類が誕生した頃の、本当に神を求め、宗教を求め、生きるとは何か、愛とは何か、そういうものを真剣に求めた人類に僕は戻れると思っているのです。これは初心に戻るということで、戻れない場合は完全に終わりですね。ただ、もちろん僕は生きている人間ですから、戻れると信じていますが、これは分からないです。今度の場合はホモ・サピエンスの本当の崩壊かもしれません。これは誰にも分かりません。
ただ、ホモ・サピエンスが本当に崩壊するだろう兆候は、それだけのものが技術的にも生まれているのは確かです。自殺直前というか、原水爆を含め、原発、食品添加物、農薬、iPS細胞や還元不能物質などあらゆるもの含めて、ホモ・サピエンスは滅びる寸前です。自分自身の制御力を失っています。
だから文明の始まりにソロンというギリシャのポリスで民主主義について述べた政治家がいますが、彼の、人間のためだという言葉を信じてはいけないという考え方が、今ほど必要とされる時期はありません。人間を「滅ぼす」ものは、全部初めは「人間のため」と言っているのです。全部が「人間のため」だと言ってやり始まります。
原発もそうで、賛成反対関係なく原発があるから、我々は今豊かな生活を送れるということです。原発反対運動が起きたときにマスコミがやることは、原発が無くなったらその補助金で生きている惨めなおばあさんはどう生きればいいのか、という論調です。これが「人間のため」ということです。iPS細胞もそうでiPSができればこういう病人が治ります、という論調です。だからiPSに今反対したら、こういう病気で苦しんでいる人は死んでもいいのですね、と言ってきます。
人類を滅ぼすのは、この理論であることは文明の最初から言われていることですが、今一番それを思い出します。先程言ったソロンです。これが人類のポリスで、アテネで、人類最初の民主主義といわれる形態を採った政治家が言った言葉なのです。
●この世に剣を投じる
執行 だから、このように文明というのは最初に凄いことがあります。本当の真理ということです。だから最初のころに行われたことを、学んで「直(じか)」に信じないと文明はうまくいきません。
キリスト教だって聖書に全部その本質が書いてあります。キリスト教というのは、優しさとしての愛だけではないのです。人助けでも、親切でもありません。聖書に書いてあるのは、キリストの言葉でマタイ伝10章34節から始まる言葉です。「私はこの世に平和をもたらすために来たのではない、剣を投げ入れるために来た」とあります。言いたいことは、「神の掟を告げるために来た」という意味で、もし「私の言葉が分からないのであれば、親子は離反し、夫婦は別れ、親友とは大喧嘩をしろ」と、このようなことが書いてあります。「家族よりも、幸福よりも、何よりも大切なものがこの世にはある」ということをキリストが言っています。
要するにそれが分かるかどうか、ということです。今は最後に近い状態なので、ソロンやキリストなどの、原点の言葉をもう一度思い出すか、分かるかという時代に入っています。分からないのであれば、間違いなく滅びます。
―― 原始キリスト教の時代に戻らなければ駄目ですね。
執行 そうです。キリスト教も、ローマの国教になって権力を握ってからのキリスト教は駄目です。その当時を描いた小説だと『クォ・ヴァディス』にも書かれていますが、原始キリスト教のときは、捕まったら十字架にかけられていました。キリスト教を信じても一文の得もなかった時代ですから、その時代のキリスト教信者は本当の人類の文明を担ったということなのです。
なぜキリスト教が崇高かということは、僕はキリスト教が大好きですが、キリストが死んでからローマ帝国の国教になるまで三百年以上は経っています。つまり三百年間、捕まったら全員、磔(はりつけ)になっていたということです。その事実だけでもキリストが言っていることは本当だと思います。やはり人間...