●ローマはなぜ覇権を握れたのか
カエサルが登場した時期のローマはすでに、いわばローマ帝国といっていいほどの大きな規模になっていました。今はローマの話だけをしていますが、当時ポリス、いわゆる都市国家というものは、地中海世界において1,000を超えるくらい存在していました。数え方によっては、1,500であるとか2,000であるという人もいます。これは、どれくらいの規模のものを都市として考えるかによります。例えば、人口5,000人くらいのものを都市として考えれば、おそらく1,000を超える都市があったことになります。
そのように1,000以上もの都市国家がある中で、なぜローマだけがあれだけ強大な国家になったのでしょうか。これは、今でも問題となっていますし、古代人自身が問題にしていたことです。なぜローマがあれだけ強大になったかについては、もちろんいろいろな意見があります。
●ローマ人の敬虔さと慎み深さ
1つの意見として、ギリシア人の歴史家であるポリュビオスという人物の意見があります。彼は、紀元前2世紀にローマと戦った時、人質となりました。人質とはいっても非常に温厚に扱われたのです。ローマに連れていかれたポリュビオスは、20年くらいローマを見ているのですが、その時に彼は、「ローマは宗教によって他の国々に勝る」と言っています。
それはどういうことなのでしょうか。これに関してはもう1人、それから100年後の人物である、キケロというローマの大政治家が自ら、われわれローマ人はどこが優れているのか、ということを考えています。住民数では、ヒスパニア(今のスペイン)の人などには勝てない。体力とか活力では、ガリア人、あるいはゲルマン人などに負ける。カルタゴ人は、非常に商才に長けていて多才である。ギリシア人は、学芸、つまり学問と芸術において優れている。エトルリア人は、非常に技術において優れている。ローマの建築にはアーチがあったりしますが、あれは完全にエトルリアから学んでいます。また、例えばお墓の中を見ると、紀元前5世紀くらいに歯科治療で使うブリッジを作成して、それで歯を治療していました。こういったように、エトルリア人は非常に技術に長けていました。
そういった優れたところがいろいろな人々にある中で、ではローマは何において優れているのかと、キケロは自問するわけです。そこで出てくるのが、神々への敬虔さ(pietas)、あるいは神々への慎み(religio)、これらにおいてローマ人は優れているというのです。神々を敬うという気持ちにおいてはどこにも負けない、そういったことをキケロ自身が言っています。
それから100年くらい前には、ギリシア人であるポリュビオスがローマの実態を見て、ローマはどうも神々を敬う気持ちが他の国民に比べて非常に強いのではないか、そう伝えているわけです。
紀元前後の頃、つまり、紀元1世紀や2世紀、あるいは紀元前2世紀などは、ローマが非常に力を持っていた時期です。これはある人から聞いたことですが、この時期のローマを描く番組を作る場合、イタリア人を起用するとどうも重厚さに欠けるということで、イギリス人やドイツ人を起用した方がいいといわれるようです。これは、今のイタリア人と当時のイタリア人とではかなり違うという感覚があるのです。そのくらい、当時のローマの人たちは、神々に対する敬いの心が非常に強かったということです。
●ローマ人の洗練していく能力
当時のローマ人に関しては、最近私も気になっていることなのですが、1つ意外なことがあります。ローマ人といえば、ブリッジやアーチもそうですし、あるいは土木建築技術が非常に高度であったとか、ローマ法の精神が発展したとか、そういったことがいわれます。そして、そういったものがローマ人のオリジナリティーであると、よくいわれています。
しかしよく考えると、それらはみんな、実際にはローマが外から学んだものです。ですからローマに関しては、オリジナリティーはかなり低いといった方がいいと思います。その代わりどこが優れているかといえば、ソフィスティケートする能力、つまり洗練する能力が優れているといえます。ですから、エトルリア人やギリシア人から技術や学芸を学んで、それをより優れたものにしていく、そういった精神において優れているわけです。
それからローマ法も実は、特にギリシアから学んだところがかなりあります。しかし、そのギリシアから学んだものを、ローマ人は現実の世界の中でうまく適用していくわけです。そしてローマ法が特に優れているところは、国家の公法だけではなく、民の間の取り決め、あるいはルールである民法を発展させたことです。この民法を発展させたことが、実は非常に大事なことであるわけです。
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