●片道切符でのローソン行きの決断は非常に重要
神藏 新浪さんは、もともとは商売の家の息子に生まれたのですか。
新浪 うちは母の会社が中小企業で、そんな中で育ってきて、父は母の会社に入れてもらって会長にまでなりますが、親戚の会社なので、ひょっとしたら私も、その会社を継がなければいけないのかな、と思っていたのです。
神藏 関西ですか。
新浪 いやいや、横浜です。港湾関連の会社でした。私も小さい頃、出入りを見ました。人情の世界ですよね。三菱商事の砂糖部で荷下ろしをやった時も、「新浪さんの息子だからやってやるよ」と言って、やってくれるのです。随分助かりました。
現場の親分もやって、私のおじの会社でしたから、おじの家系に男がいなかったので、「おまえが継ぐか?」ということは言われていました。
神藏 慶應を出て三菱商事に行くのではなく、うちに来いと。
新浪 「行くわけないじゃないか。誰が行くか」と言っていました。父は「もういい、好きにやれ」と言ってくれましたが、母方の方では跡取りがいないので。だから商売の家にいたのです。
神藏 だから三菱商事に行った時は、商社のヒエラルキーで偉くなるよりも、給食会社やローソンをやっている方が楽しかったわけですね。
新浪 そうですね。丸の内にいるのは窮屈でした。でも、小島順彦さんや佐々木幹夫さんという、私にとってはありがたい上司に恵まれました。その前にも、先日亡くなりましたが、上村哲夫さんという副社長が、私が入社して3年目の時から随分かわいがってくれました。ですから、三菱商事の中では少し反発もあったのかもしれませんが、早期にどんどん偉くしてくれて、最年少で部長にもなりました。実は、ローソンも転籍で行けとは言われていないのです。
神藏 戻ることが前提で、立て直したら戻ってこいと。
新浪 だけど、当時のローソンはものすごく大変な状況だったので、これでは無理だということで、自分の方から「片道切符でいい」と言い出したら、小島さんが、「そうであれば、君の意思を尊重する」と言ってくれました。結局、5年ぐらいだと思ったら、13年もかかってしまいました。私がローソンの顧問になった時は、5年ぐらいでできるだろうなと思いましたが、とんでもない。あと、加盟店は、サラリーマン社会の中にいる人たちではありませんから、片道切符で来ているのかどうか...