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日本に大きな影響を与えた朝鮮半島の水田稲作

弥生時代の歴史:第1章~水田稲作の始まり~前編

藤尾慎一郎
国立歴史民俗博物館 研究部 教授/総合研究大学院大学 日本歴史研究専攻 教授
情報・テキスト
日本における穀物は、朝鮮半島南部(韓国南部)からの影響を強く受けている。そこで、今回は日本の水田稲作を議論する前に、朝鮮半島における穀物の発展の様子を見ていく。出土した土器あるいは遺跡などから、農耕文化とそれに伴う社会制度の発展を考察できる。(全12話中第3話)
時間:09:37
収録日:2019/06/04
追加日:2019/10/07
ジャンル:
≪全文≫

●朝鮮半島では日本よりも500年も前に本格的な農耕生活に入った


 それでは、日本で水田稲作が始まるにあたって大きな影響を与えた朝鮮半島南部(現在の韓国)でどのように農耕が始まったのかという点から、話を始めます。

 青森県の三内丸山遺跡で有名な縄文時代の前期と同時代に、朝鮮半島ではアワやキビなどの穀物を栽培していました。当時は、朝鮮半島で新たな発明がなされると、基本的にはすぐに日本、特に九州や西日本に伝わっていました。しかし、どういうわけか日本でアワやキビを栽培していたという証拠は出てきません。これが日本で初めて出てくるのは、水田稲作が始まる紀元前10世紀だと、現在は考えられています。

 つまり、朝鮮半島ではアワやキビを栽培していたにもかかわらず、九州の人々はそうした動向には見向きもせずに採集生活を続けていたという状態が、何千年も続いていたということになります。

 今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。


●朝鮮半島南部の遺跡から出土したもの


 この写真は、ダムの建設に伴い水没する地域の発掘調査を行った際の写真です。この川のそばにある、縦にたくさん線が引いてある場所が畑の畝の跡です。この畑は約3ヘクタールほどの大きさがあります。実際にコメや麦など炭化した穀物も出てくるので、本格的に農耕生活に入っていることが分かります。

 上のスライドにある左写真の下側にあるのは当時の住居です。非常に大きいことが分かります。右写真にあるのは、「石包丁」と呼ばれる収穫具です。昔は、コメが熟す時期は穂ごとに異なるので、熟しているものもそうでないものも取り去る根刈りはできません。そのため、熟しているもののみを摘み取るために、石包丁を用います。

 畝が交差しているものなど、さまざまな畑の形があります。これらの違いから時期が異なることが分かります。

 紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が始まって約400年後のことになります。

 こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。これらは一つ一つの区画が数平米と小さい「小区画水田」と呼ばれるものです。谷筋を流れる水を使って、水田稲作を行っていたことが分かります。


●戦い、農耕社会、身分格差の発生の考古学的証拠


 写真は、ここで使われていた道具です。この中で着目してもらいたいのが、土器と武器です。土器の「口縁部」と呼ばれる上の方の縁をめぐるように小さな穴が空いています。これを「孔列文」と呼びます。これと同じ文様が、同じ時期の九州東部や中国山地の縄文土器にも用いられています。

 武器に関してですが、縄文人は武器を持っていませんでした。もちろん、棍棒などでも殺傷は可能ですが、最初から殺傷を目的とした道具を縄文人は持っていませんでした。しかし、弥生人は持っています。武器は、水田稲作と一緒に朝鮮半島から伝わりました。つまり、朝鮮半島で水田稲作が始まった時期に、こういった武器が出現するということが分かるわけです。

 水田稲作が始まって社会が安定してくると、農耕社会が韓国でも成立してきます。その主な考古学的証拠は、周りに壕をめぐらした環壕集落というむらの存在です。この環壕集落には、壕の中にある住居趾と外にある住居趾があります。このことから、内と外にある住居趾に住んでいた人の間には、何らかの社会的な差があったのではないかと考えられています。

 韓国の環壕集落は比較的高い丘陵を取り囲むようなものが多いのです。一方、日本の場合には、このような形の環壕集落の他に、平野の真ん中に多重の壕をめぐらす巨大な環壕集落を持っています。しかし、こうした形の集落が出現するのは数百年後の話になるので、ここでは取り上げずにおきます。

 農耕社会が成立すると、社会的な身分格差が生じます。身分の高い人は非常に価値の高い副葬品とともに大きな墓に葬られます。この写真はそのうちの一つですが、一辺が10メートルほどで非常に大きい、石を盛り上げて作った「槨」と呼ばれる墓です。このように、水田稲作が始まり農耕社会が成立し身分格差が生まれてくると、ものをたくさん持っている身分の高い人...
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