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青銅器の国産化には朝鮮半島出身者が影響を与えている

弥生時代の歴史~研究最前線(5)~金属器の登場~後編

藤尾慎一郎
国立歴史民俗博物館 研究部 教授/総合研究大学院大学 日本歴史研究専攻 教授
概要・テキスト
青銅器は伝来した当初、朝鮮半島と同様のものを用いていたが、やがて弥生人たちは朝鮮半島からやってきた青銅器工人を受け入れながら、徐々に弥生独自の青銅器を創るようになります。また、鉄器は紀元前4世紀頃に中国東北部、もしくは朝鮮半島南部から伝来されたが、入手に関しては来るのを待っていたのではなく、むしろ自ら朝鮮半島南部に求めにいった可能性が高くなっています。ものづくり大国日本の第一歩ともいえる、弥生時代の青銅器と鉄器の文化に関して解説する。(全12話中第8話)
時間:08:03
収録日:2019/06/04
追加日:2019/10/21
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≪全文≫

●紀元前3世紀頃から青銅器を自作するようになった弥生人


 弥生人は金属器を受け取るばかりではなく、紀元前3世紀には自ら作るようになります。それは、朝鮮半島南部にはない弥生独自の青銅器が出てくるようになることから分かります。具体的には、紀元前3世紀を過ぎると、九州北部では大型化しつつある銅剣・銅矛・銅戈といった青銅製の武器が見つかるようになり、近畿では銅鐸も徐々に大きくなってきます。

 また、実際に遺跡からも鋳型が出てくるようになります。ここでは、熊本市の八ノ坪遺跡を紹介します。鉄の場合と異なり、製鉄炉があるわけではなく、明らかに炉と分かるものが見つかることはありません。しかし、地面が焼けた状態で見つかるようになるのです。

 この八ノ坪遺跡では、多くの鋳型が見つかっています。銅戈、銅矛、銅鐸といった武器形青銅器の鋳型や、鋳造した際に鋳型からあふれ出してしまった銅滓(どうさい)、空気を送るための送風管などが見つかっています。この送風管はL字型で、近畿地方にある有名な鋳造遺跡である奈良県唐古・鍵遺跡や大阪府東奈良遺跡で見つかったものと同じ形をしています。同じ遺跡から出土した甕(かめ)形土器に付着していたススを炭素14年代測定法で調べたところ、紀元前3世紀頃のものだと判明しています。


●日本の青銅器の国産化に朝鮮半島出身者が大きな影響を与えている


 問題は、こうした青銅器を誰が作ったのかということです。このような鋳型が出てくる遺跡からは、この図のような土器が出てきます。この土器は、当時の朝鮮半島南部で使われていた土器と、同じ形をしています。加えて、壺、甕、高坏(たかつき)、器台という当時の土器がセットで出土するのです。

 これは、朝鮮半島南部から青銅器を作る工人が渡来してきた証拠ではないか、と考えられています。こうした遺跡は、佐賀平野、熊本平野、福岡平野、そして福岡県と佐賀県の間にある福岡県小郡市などで発見されています。このように、日本の青銅器の国産化には、朝鮮半島南部の出身者が大きな影響を与えていることが分かります。

 もともと日本に水田稲作を伝えたのも朝鮮半島南部の青銅器文化の人びとであると先ほど説明しましたが、実...
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