●「効率市場のパラドックス」に近いような現象が起きつつある
松尾 おそらく金融分野でも、データとして使いやすいところはもう全部使われているようなイメージがあります。しかし、本来使えるけれどもまだデータになっていないものや、少し時間がかかるような部分がいろいろとあるのではないかという感じはします。
柳川 おっしゃる通りです。実は、経済学が伝統的に取り組んできた市場は、「効率的市場」と呼ばれます。前回言ったような裁定取引が瞬時に行われ、使える情報が全て市場に反映されている構造が前提されているのです。
そこには有名なパラドックスがあります。前回お話ししたようなことがすぐに起こるとすると、誰も情報を集めなくなります。情報を集めても、誰かがその情報をうまく使って、周りの人に一斉に裁定取引されてしまうと儲けられないからです。これは、有名な「効率的市場のパラドックス」と呼ばれていて、市場が効率的になり、誰もが情報を瞬時に使えば使うほど、わざわざ情報を探しだし、新しい発見をしても儲からなくなってしまうという状況を指します。そうすると結果的には、何も市場に情報が入らなくなってしまうのです。本来、最も効率的に情報が使われるはずの市場で、情報が使われなくなってしまうというパラドックスです。
それでは、これを理論的にどう解消したのでしょうか。現実には、完全に皆がラショナル(合理的)に動いているわけではありません。市場にはノイズがあるだろうと考えたのです。そのノイズがあると、例えば突然ある株の株価が上がったとしても、その原因について2種類の可能性が出てきます。1つは、誰かがこの株の株価が上がるという情報を見つけたに違いないというもので、もう1つは、たまたま株が必要になったから株を買おうと思い、それによって株価が上がったというものです。2種類の構造があると、そこに裁定取引の限界が来ます。
だから、市場取引には、ある意味でノイズがあることで情報がそこに集まるという構造があるという点が非常に面白いところだと思います。
松尾 なるほど。
柳川 だから、みんなが完璧になりすぎてしまうと、逆に情報が集まらないのですね。
松尾 それでも、だんだん効率的になっている感じがしますよね。
柳川 そうなんです。だから、最初はノイズが相当あるので、まだまだ大丈夫と言っていたのですが、だんだん「効率市場のパラドックス」に近いような現象が起きつつあるように思います。これは、多くの人が感じていることです。
●ヘッジファンドがAIで効率的な市場を作りだしている!?
松尾 僕の知っている範囲から、予想の話をさせてください。例えば、米国の非常に有名な、AIを使ったヘッジファンドが使っている方法についてです。そのヘッジファンドにはPh.D.を持った人が数百人いるのですが、おそらく5人ぐらいのチームになって、さまざまなアルゴリズムを開発していると。そこにはいろいろなバリエーションがあり、例えば人の移動履歴を使っているものや、月の満ち欠けを使っているものなど、とにかく多様なデータを使い、ディープラーニングを含めた、たくさんのアルゴリズムでモデルを作っていると。
そして、その中で成績が良いものを金融データに割り当てていくのですが、現状は、この割り当てをどのサイクルで更新していくかをうまく調整する作業のみが残されているという感じがします。
おそらくこの仕組みは、ワークし続けるでしょう。とはいえ、ここに流動性の限界が訪れ、ボリュームが大きくなると勝てなくなります。そのため、ギリギリのところまではこの方法で進むとしても、そこから先は難しいよねという部分で止まるのでしょう。ほぼそんな感じじゃないかなと考えています。
柳川 なるほど。
松尾 これを実践している人たちは、自分たちのお金をこのアルゴリズムに基づいて運用しています。そして、外にはこうしたアルゴリズムをすごく薄めたものを販売しているようです。そう考えると、彼らが完全に効率的な市場を作り出している感じがあります。
●経済市場の構造は変わるので、ずっと勝ち続けることはできない
柳川 その話は、今のような裁定取引でどこまで儲けられるかという話だけでなく、安定的なパラメータ構造がどこまで維持できるかということに関係すると思っています。だから、去年と今年、今年と来年で同じことを使ってくるとすると、その構造についてのパラメータを見つけられた人が、ずっと勝ち続けてしまうのでしょう。
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松尾 そうですね。
柳川 ところが、経済、あるいは金融市場は構造が変わっていくので、その構造の変わり目のときにうまく過去のデータをスイッチできるかという点が鍵になります。
松尾 多分、そこに対しての答えはないのでしょう。今お話しした...