●『ロビンソン・クルーソー』は一般的イメージとは違う意外な面もある作品
東京大学総合文化研究科の武田と申します。今日は「『ロビンソン・クルーソー』とは何か」ということでお話をしたいと思います。よろしくお願いします。
『ロビンソン・クルーソー』についてお話しするわけですけれども、かなり有名な小説なので、皆さんご存じかと思います。
基本的な情報について説明しておきますと、1719年にイギリスのダニエル・デフォーという作家が発表した小説です。
無人島に漂着した主人公が、たった1人で家や畑をつくり、自給自足の生活をする物語であるとまとめることができるでしょう。また、文学の歴史に詳しい方であれば、この『ロビンソン・クルーソー』という小説は、しばしば近代的な「リアリズム小説の元祖」と呼ばれているということもご存じかもしれません。
このようによく知られている作品ではありますが、実際に『ロビンソン・クルーソー』という小説を読まれた方は、それほど多くないかもしれません。また、読まれていても、ひょっとしたら読む前に予想していた内容と違っていて、少し困惑された方もいるかもしれません。
よく学生さんなどと『ロビンソン・クルーソー』のイメージについて話すと、「無人島の話だと思っていたんだけども、実際読んでみると、なかなかロビンソンが無人島に漂着しないので困った」とか、「途中でやめてしまった」というような方もいます。そのように、一般的なイメージとは違う意外な面もある作品だということを、まず確認しておきたいと思います。
そのような基本的な話を踏まえて、これからのお話の内容は、『ロビンソン・クルーソー』とともに、同じ作者ダニエル・デフォーのもう一つの作品『ペストの記憶』をほんの少しですが、ご紹介します。そのなかで、小説を読むとはどういうことなのかを考えてみたいと思っております。
●18世紀の小説は現代におけるゲーム機やスマホのような存在だった
まず小説について考えるにあたり、『ロビンソン・クルーソー』が刊行される4年前(1715年)に刊行された『家庭信仰のすすめ(“Family Instructor”)』というタイトルの作品に出てくる、ある一場面を紹介したいと思います。
この作品は18世紀の話で、当時のある典型的な家庭を舞台にして、反抗的な子どもたちと、その子どもたちを宗教的に立派な信仰を持つように導いていこうとする両親との間の葛藤を描いた作品です。
作品の初めのほうで、親に反抗している娘の本棚にたくさん小説や芝居の脚本が並んでいるのを母親が見つけます。小説や脚本を見た母親はどういうことを言うか、引用してある文章を読みましょう。
「この呪わしい根っこから、あのご立派な果実が生まれたのね! これこそ、あの子のあらゆる欲求を満たす餌。この本は、家族を更生させるという私の神聖な決意への最初の生贄になるのだ。」
かなり大げさな言い方ですが、母親はこのように宣言します。これは、当の娘が留守をしている最中の話です。娘が留守の間に、母親は本を全部暖炉の火にくべてしまい、聖書や宗教関係の本だけを残して、あとは全てなくしてしまおうとします。もちろん娘はその後、激怒するわけです。
ここを読むと、18世紀の初め、『ロビンソン・クルーソー』の書かれた時代には、小説や芝居の脚本といったものが、どうも子どもの教育に有害であると見なされていたらしいと分かるわけです。
ちょうど今、新型コロナウイルスの騒動などで自宅にいらっしゃる人が多いと思うのですが、ひょっとしたら親子の間で「ゲームばっかりやってるとダメだよ」とか「ネットばかりやって勉強もしないで、ダメじゃないの」といったようなことが言われているかもしれないですね。この場面は、そうした状況を思い起こさせるような引用かもしれないと思います。
現代では、ゲーム機やスマートフォンなどを取り上げる親はいても、あまり小説を没収する親はいないのではないかと思います。ですが、18世紀の初めの頃の小説というのは、現代におけるゲーム機やスマホに当たるような存在だったというふうに考えてもいいのかもしれません。
●『ロビンソン・クルーソー』の時代から小説が文学の中心になっていった
つまり、今のゲームやインターネットに当たるようなエンターテイメントとして、小説が見なされていたということになります。
実際、私たちは文学作品というと、まず多くの人が小説を何か挙げると思います。日本の人や日本文化に詳しい人であれば、夏目漱石の『こころ』や太宰治、もっと最近では村上春樹など、いろいろ挙げられるでし...
(ダニエル・デフォー著、武田将明翻訳、河出文庫)