●立派であろうがなかろうが、信念に基づき「一人でもやる」
執行 社会に出てからも、サラリーマンとして会社で働いていた頃は「お前は民主主義の敵だ」と言われました。「選挙に行かないような人間は、国民の義務を果たしていない」というのです。テレビなども、「文句があるなら、まず投票してから言え」と言います。でも、これがいけない。「文句があったら投票してはいけない」というのが根本です。
全国民が「本当に今の民主主義は悪い、ポピュリズムは悪い」と思って投票しなくなれば、この選挙制度は終わるのですから。
―― 制度が成り立たなくなりますよね。
執行 成り立たない。だから、本当の革命思想というのは、そこまで持っていこうとしなければ駄目です。私は一人でもやり抜くつもりですから、自慢ではないが、70歳まで選挙権の行使は1回もしたことがない。どんなにつまらないものでも、それこそ学校の学級委員の選挙から拒否しています。
―― 革命思想というのは、そういうものでしょうね。
執行 当然そうです。それが成就するかしないかは私も知りません。できなくても私は死ぬまでやるつもりです。誰に「日本国民としての義務を果たしていない」と言われようと、果たさないなら果たさないままで死のうと思っています。
選挙制度というのはギリシャでペリクレスなどが生み出したときから、もともと制限選挙で、選挙項目によって選挙人を選ぶものでした。(選挙権を得る資格は)普通の政治なら税金の納税額でしょうし、学会なら学問の業績ということになります。だから、その物事に対する見識のある人に決まっていました。選挙をする項目によって選挙人は違うわけです。
―― そうでしょうね。
執行 美術について選ぶなら、美術を見る目がある人でないといけないわけです。つまり、選挙するなら制限選挙。でも、制限選挙はもうできないですね。
―― そうでしょうね。
執行 小学校の頃にいろいろな歴史を見て、私は制限選挙はできないと確信しました。歴史は逆行できないから、制限選挙に望みをかけず制度自体を壊して、やめるしかない。そういう信念のもとに行っているわけです。
これは、「信念とは何か」の例として話しているわけで、それが「くだらない」とか「つまらない」と言われるなら、それは仕方がないです。私も別に「立派なこと」だと誇っているわけではありません。ただ自分は選挙制度に反対だから、小学校から70歳まで、どんなにつまらない選挙にも1回も投票したことがないということです。
―― でも、それはすごいことですね。
執行 すごいことですよ。「ただ一人で生き、ただ一人で死ぬ」というのはそういうあり方をいうのです。人から何と言われようと、初心を貫く。でももちろん、私が選挙をしないことによって、よかったことなどは、もちろん一つもありません。
小学校の頃から60年以上実践してきたことなので、私はこれだけの自信を持って言えるのです。60年間ただ一人で戦ってきて、追従者はいなかったけれども、少しも後悔はしていないし惜しいとも思いません。真実というのは、唱えるのが一人だろうと二人だろうと関係ありません。
ポピュリズムの選挙を支える「生まれただけで価値がある」という考えかたは、こと政治に関しては間違いだと私は思っています。もちろん肉体的な生のことを言っているのではありません。肉体を生かす権利、すなわち人権はあるに決まっている。そのことと政治家になることは別物です。政治家というのは、やはり立派な見識を持つ人になってもらわないと困るのです。
―― そうですよね。
執行 そうであれば、立派な人を選べる組織にしないといけない。そのために必要なのは、「戦争に勝つ・負ける」ではなく、「選挙制度をぶっ壊す」ことです。
―― なるほど。
執行 そういう意味では、私は有名人になれなかったことを悔いています。私が司馬遼太郎ぐらいの有名人になっていたら、「反選挙」の一大キャンペーンをして、もしかすると革命的な選挙制度改革に貢献できたかもしれない。そういう意味では、有名人になれなかったことが後悔のタネです。司馬遼太郎クラスだと、それはすごいです。でも、それは能力的に無理なので、「一人でもやる」ということを続けています。
―― でも先生が取っている、今の選挙制度や今の民主主義への姿勢は、本質的な問題に切り込んでいらっしゃいますね。それから、普通は余計なことにいろいろと配慮するものですが、先生は本質に向かって直球をバンバン投げていくのがすごいです。
執行 それが私のいいところでしょう。小学校の頃から「毒を食らえ」の流儀のために殴られ通しで育ったから、みんなからけなされたり嫌われたりするのには慣れています(笑)。
だから、「嫌い」と言われても「どうぞ...