●立派な人ほど「嫌な目」にあって成長してきた
執行 もう1つ、「文明の毒」というものがあります。われわれは全員が、文明社会のなかを生きています。そうすると、人類が築き上げた文明というもののなかに、もともと毒素があるわけです。では、文明の毒素とは何だろうか。私が歴史的なことを調べた結果では、文明の毒とは、われわれが精神的には「不合理だ」と思うことなのです。
―― 不合理だと思うことですか。
執行 不合理。われわれが、「道理に合わない」とか「理不尽」「それはおかしい」と思うことがありますよね。それが文明社会の持っている毒です。
だから、私は「不合理を仰ぎ見なければいけない」と言っています。不合理を食らわなければいけないわけです。
―― ああ、不合理を食らうところまで行くわけですね。
執行 食らう。だから、私なんか不合理は大好きです。
―― 不合理や不条理を食べるところまで行かれるのですね。
執行 食べてしまう。逃げては駄目。食べて、消化して、自己化しなければ駄目なのです。不合理を自己化すると、文明の本質が自己のなかに溶け込んでくるわけです。
昔はみんな貧乏で、たいてい親も厳しかったではないですか。だから、子供の頃は何も思い通りにならなかった。あれがすべて「文明の不合理」なのです。親がいて、家庭があって、文明社会があるのは、子供にとっての不合理です。そのなかで、昔の子供は皆、苦しんだわけで、それがよかった。
しかし、今はそれが環境的にないので、自分でつくらなければならない。会社勤めや何か、嫌なことはすべて不合理ということになります。ただ、知っての通り、今では学校が勉強までさせないのですから。学校に行くと、昔は先生が鞭(ムチ)を持っていて、暗記なり何なり嫌なことを毎日させるのが文明の毒でした。あれで皆、伸びたわけですから、文明の毒が不合理だというのは覚えておいたほうがいい。
われわれが不合理に思うことは全部、文明社会が生み出した毒です。会社で嫌なことがあるとしたら、それは会社が文明の道具だからで、その道具のなかの組織というものが生み出した「個人の情感と抵触するもの」が不合理であるわけです。
―― なるほど。
執行 だから、愛と義ですね。秩序は「義」で、人間が生きるのは「愛」です。そこに抵触してくるものが「不合理」だと言えます。
―― ぶつかり合うものなのですね。
執行 ぶつかり合う。
執行 会社のなかに入って嫌なことがあるのは、自分の成長にとっては実は、すごく良いことです。さまざまな物の本を読むと分かりますが、立派な業績を残した昔の人は皆、サラリーマンであっても嫌なことがあって干されたり、左遷されたりして、そのときにどう生きたかが、その人の真価になります。
左遷されて、ひどい目に遭わされたときに恨むのではなく、それを自分のなかで自己化する。森鴎外をはじめとする人物はそうやって立派になったわけで、それがこれまで話してきた「不合理を食らう」ということです。
―― なるほど。不合理を食らって、しかも自己化まで持って行ってしまう。
執行 自己化する。そのためには恨んではいけません。
―― 恨んで発散するようでは、話にならない。
執行 恨んでしまうと発散になってしまう。つまりガス抜きに過ぎません。不合理を自分のなかに入れ、自己化できると、文明的な意味で偉大になってくるわけです。それが事業の成功や、出世、学者なら業績、作家ならその著作などになっていきます。
●自己の本当の信念を貫くのが家族への「愛」
執行 私もそうですが、本を書く人は皆、その本を書くための不合理をすべて自己化し、自分のなかで全部こなして、それを本というかたちに出せた人なのです。本を1冊つくるというのは、強烈な不合理との戦いです。
―― なるほど。不合理との戦いなのですね。
執行 不合理との戦い。それに負けたら本は出せない。本を出すということは、その部分で不合理に勝ったということですから。
たとえば出版社から本を出すのは、不合理との戦いに勝ち抜く1つです。しかし、インターネットのブログに好きなこと書いているのは趣味の問題で、不合理との戦いにはならない。だから、自己成長ゼロで、いくら書いてもご苦労様、で終わりです。
―― うーん、なるほど。ある種、自分の鬱憤(うっぷん)晴らしなのですね。
執行 そうそう。でも、たとえば私が本を1冊出すことになると、社会の組織や出版社など、いろいろなところとの大変な戦いになります。
―― しかも先生は妥協しないですからね。
執行 当たり前です。妥協するぐらいなら本など書いてもしょうがない。
―― 毎回、もっとレベルを引き上げたいと思っているでしょう。
執行 当たり前です。妥協するぐらいなら、...