●「嫌われて結構」という開き直りと不良性
―― しかし、快適になろうと思って行ってきたことの片側にある毒の部分というのは、まったく理解されていないですよね。
執行 そうです。ものには必ず「快適さ」や「優しさ」の部分と、その裏側に隠れている毒の部分があり、両方を分かっていなければいけません。それを分かって行うのが、昔の人格者のいう「アメとムチ」であり、教育やしつけなどの根本です。
乃木将軍が、ニンジン嫌いの息子にそれ以外は食べさせなかったのは「愛」です。今これを言うと「虐待」に当たるので、警察が来るだろうと思いますけどね。
―― 人間は、そうして鍛えていかなければならない。しかし、現在ではその場所をすでに失っているということですか。これはつらいですよね。
執行 そうですね。今は自分のなかにしか(鍛える場が)ない。私が見たかぎりでもそうした場所はないし、すべてが崩壊しているようで、もはや自分の心のなかにしか場所はありません。だから、私の根本思想の一つは、「毒を食らえ」という思想を自分のなかで貫徹するために「ただ1人で生き、ただ1人で死ね」ということです。私の思想の根本です。「ただ1人で生き、ただ1人で死ぬ」ことで、実際にそうやって生きています。
―― なるほど。
執行 私はそうやって生きているから、武士道も貫徹できています。なぜ武士道が70歳まで貫徹できるかというと、人に分かってもらいたい、人に影響を与えたい、褒めてもらいたいなどとは一切考えないからです。人はどうでもいいのです。
―― 自分の軸で生きるという決意ですね。
執行 決意というのでしょうか。最初からそうなので、決意もへったくれもありません。
―― 普通の人はたとえ軸ができたとしても、軸がある分だけ軋轢(あつれき)がすごいですね。
執行 私などは武士道だから、武士道が嫌いな人はみんな私のことは嫌いです。ですが、全部嫌われて結構だということです。
―― 「嫌われて結構」だという開き直りというか不良性があるかどうかというのが…。
執行 それは不良性でしょうね。私はもともと人に好かれたいとは思っていないので、人から「悪人だ」と思われると嬉しかった。「いい人だ」と言われると、むしろ嫌で「冗談じゃない、ふざけるな、この野郎」と思ってきました。
―― 人に好かれたいと思ったら、およそ経営者稼業はできないし、リーダー稼業だってできないでしょう。
執行 うん、それはどうでしょう。経営者については分かりません。私はとにかく経営をやろうが何をしようが、「ただ1人で生き、ただ1人で死ぬ」ということ以外は考えていません。だから、武士道が好きで武士道をやっているけれども、最近、そういうことについて話す機会も増えました。
しかし、本当は一切、話す気もないし、人に何かを分かってほしいとも全然思っていません。本なども、戸嶋靖昌記念館を設立したために、しょうがなくて出しただけです。親にも誰にも、何もしゃべりません。
―― でも、それをずっと60歳まで蓄積してこられた。
執行 70歳です!(笑)
―― でも、先生が本を書き始めたのは60歳からですよね。
執行 ああ、本はそうですね。
―― 蓄積がいっぱいあるから、本を出し続けられているのですよね。
執行 それは分かりません。ただ、私の経験では、「ただ1人で生き、ただ1人で死ぬ」ということを決意しないかぎり、絶対に駄目です。「人の評価を受けたい」と思ったら、絶対にできません。今の文明というのは、ある意味で「凄い」ものです。とくにマスコミができてからは、人を取り込んだり押さえ込んだりする力が強くなりました。もう逃げ場所はありません。逃げ場所がないのですから、人と関わらずにただ自分1人で生きることです。昔の言葉で言えば「自分と神だけ」です。
―― なるほど。
執行 だから、もちろん私1人ではない。私は信仰心がとても強く、神という人間を生み出した存在を信じています。それから自己、自分自身との対話だけです。だから、1人というと間違いかもしれませんが、言葉としては「ただ1人で生き、ただ1人で死ぬ」。
ここには「死ぬ」まで入っていますから、死ぬ前にだけ分かってもらおうと思っても駄目ということです。死ぬときに弱気になったり、少しでもひるんだりしたら、そこで思想は全部解体すると思ったほうがいい。そのまま黙って、私の場合だと「武士道」を握りしめたまま、死ななければいけないのです。
―― なるほど。そこまでやらないと思想はあっという間に解体するわけですね。
執行 駄目ですね。たとえば武士道を80年間通してきても、3秒間忘れたら、もうそれでその人は武士ではない。私はそう思っています。1秒でも2秒でも武士でない時間があったら、武士道は駄目になる。それは、なんとなく...