●成功を求めず、「信じるもののために死ぬ」覚悟はあるか
執行 こういう話をしているときにみんながよく言うのが、「そうすると、結果的にうまくいくのですね」という言葉です。これが間違いです。
私の本を読んで、私のところにくる人は、全員が必ず「執行先生の本を読んで、私は感動しました」と言います。とくに最初の『生くる』を読んで実践したら、会社で評価を受けたなどと言う。「だから、お前は駄目なのだ」という話です。評価を受けようなどと思ってはいけません。『生くる』が好きになったり、『現代の考察』が好きになったり、今度の『脱人間論』が本当の愛読書になったのなら、その本とともに死のうと思わなければ駄目なのです。成功しようと思ってはいけません。
―― これは生き方の本ですものね。
執行 そうです。だって、「聖書のために死ぬ」というのがキリスト教ではないですか。「聖書を信じれば、必ず成功して豊かになる」などとは誰も言っていません。逆に聖書を信じていたために殺されたり、失敗したりした人はいくらでもいます。だから、同じです。
―― 確かに国教になるまでのキリスト教は、みんなそうですよね。信じたがために……
執行 そう。みんな火あぶりです。
―― みんな火あぶりだし、(捕吏に)追いかけ回されたわけですよね。
執行 要はそういうことです。私の本にも、割と本当のことを書いてあるので、実際上、同じことです。『生くる』や『現代の考察』に書いてあることを本当に実践しようと思ったら、実践して人に嫌われ、会社で左遷されても、それでもいいと思わなければ、「その本の魂」は入ってこないということを言っているのです。
――確かにその通りでしょうね。
周囲の迫害にめげず、ずっとやっていればいいこともあるかもしれませんが、それは結果論であり、分からない。
―― 結果はともかくとして、この生き方を続けていれば自分の魂はすごく強くなると思います。それは不条理や不合理のすべてを受け入れてしまうからですね。自己肯定化するからこそ、大変な厚みが出てくるのですね。
執行 多分、そうすることで生命として価値が高まり、真の人間成長になるのです。私の言っていることは、具体的な武士道の話をのぞくと、すべてが人間の生命論です。人間生命として、価値のある人生を送ったかどうかが問われますから、幸福も不幸も、成功も失敗もない。本当に何かを信じて体当たりしたら、失敗しようが中途挫折しようが、それは「生命として」本当に幸福なのです。
カストロが亡くなるときに言った有名な言葉があります。カストロは若い頃、ゲバラと一緒に南米で革命運動をやっていた人です。カストロはキューバで指導者となり、生き残って出世しましたね。一方、若いときの同志のゲバラは、ボリビアに行ってCIAに捕まり銃殺されました。そんなカストロは亡くなるときに言っていたのは、「革命の最中に銃殺されたゲバラは、本当に幸福だったのだ」と繰り返しました。これが本質なのです。
―― すごい話ですね。
執行 カストロは生き残り、偉くなったことによって、ゲバラなどと語り合った自らの青年時代の「生命の本当の真実」のようなものを失ったのだと、私は思うのです。カストロの偉いところは、それを自分でわかっていたことです。
―― 本当にそうわかっているところがすごいですね。
執行 それはやはり大したものです。一大人物であって、どこかの国の政治家などとは違います。
―― ゲバラは革命が成功した後、一度は大臣になりながら、こんなことをやっている場合ではないと言ってボリビアに行くわけですよね。行ったほうもすごいし、行って虐殺されたゲバラに対してそういう賛辞を送るカストロもすごいですね。
執行 そういうことです。だからこそ、ああいう人間の生き方はやはり魅力がありますね。
―― しかも、(ゲバラやカストロの場合は)生き方そのものが歴史に残っていますよね。
執行 そうですね。私も毒物や不合理の思想にとって一番重要なことは、自分の生き方が実例として、みんなの信じる目安になることだと考えています。とにかく「毒を食らえ」というのが私の子供の頃からの中心思想です。文明社会の不合理を全部、不満を言わずに自分から前向きに食らう思想で生きているわけです。
私はうまい具合に父親なども厳しくて、昔の親だから大変だったので、子供の頃から家のなかでは一つもいいことがなかったし、できることもなかった。そういう生活だったので、不合理をどんどん食べ、毒物を食べているほうでした。
これは信じてもらえるかどうか分かりませんが、私は大学を出てすでに50年近くなりますが、この世の中で現代人の言うところの悩みや嫌なことは、一つもありません。ゼロです。これは良い意味では、毒や不合理に向かっ...