●アメリカの太平洋戦争記念博物館と潜水艦たち
アメリカの潜水艦についてお話ししたいと思います。こちらはGrenadierです。
アメリカの潜水艦は、太平洋戦争中に52艦沈んでいます。これはテキサスの太平洋戦争博物館にある碑文です。「Deeds of the Submarine Service and Roll Call of Submarines on “Eternal Patrol”」、つまり「永遠の任務に就いている潜水艦たち」とニミッツが書いているのです。「この潜水艦は哨戒に出ていって、そこからまだ戻ってこない」という碑文なのです。先ほど挙げた4隻、つまりGrenadier、Grayback、Seawolf、そしてSnookもここに載っています。彼らは任務から帰ってきていないのですね。
アメリカ南部テキサス州の州都であるオースティンから北西に位置している、Fredericksburgという場所に「National Museum of the Pacific War」という博物館があります。Fredericksburgはアメリカ海軍の提督であるニミッツの生まれ故郷で、彼の生家もあります。
ニミッツは日本の海軍と戦った名将ですね。彼のすばらしい知恵によって、日本軍は敗退していくわけです。
実はニミッツは大の日本ファンで、東郷平八郎を尊敬していました。これは東郷平八郎のメモリアルです。
「この庭園はニミッツ元帥の東郷元帥に対する敬意を記念し両提督が等しく望んだ日米親善と世界平和を祈念して日本の国民から米国の国民に贈られたものである 船田 中」とあります。1976年にこれが建てられています。
そこには太平洋戦争の歴史が書かれています。日本は敗戦国なので、非常に残念なことに、日本の太平洋戦争国立博物館はありません。ですから、われわれが国として太平洋戦争をどのように考えるか、あるいは国がどのように提示するのかということを、われわれは確認することができないのです。非常に残念です。
この博物館では、アヘン戦争から太平洋戦争の起源を説き起こしています。アヘン戦争を起源に、列強ヨーロッパ・アメリカの侵略、さらに日本の参入、その後のさまざまな諸問題についてずっと書かれていて、戦争の経過が詳細に説明されています。非常に重要でためになると思います。ぜひ日本の方々もアメリカに行くチャンスがあれば、このテキサスのオースティンから車ですぐなので、ぜひ行っていただきたいと思います。
●ニミッツの回想録からわかる日本の宿痾
ニミッツの意見をご紹介します。「ニミッツの太平洋戦史」邦語訳の388ページです。「護衛船団制度を日本が軽視した理由は、1916年後期および1930年代における英国の考え方とそっくりであった。第一に、日本は連合軍潜水艦部隊の潜在的な脅威をなめていた。第二に彼らは船団護衛は防衛手段だとみなした。だいたい、日本の陸軍も海軍もいずれ劣らず攻勢一点張りであって、守勢作戦を軽蔑しきっていた」。ここに重要な点があります。このために大洋丸は沈んだと、私はいいたいのです。
つまり、十分な護衛も付けずに輸送船を送り出していたのですが、そうすると敵の潜水艦の餌食となってしまうのです。ようやく1944(昭和19)年あたりに対策が取られるようになりましたが、時すでに遅し。守るべき船団も守る軍艦もなくなってしまったのです。ニミッツはこの点を散々指摘しています。現在の日本にも、このようにロジを重要視しない傾向があるので、非常に危険だと思います。
これは余談ですが、たとえば日本はJAMSTECが深海を掘る「ちきゅう」というドリリング船を持っています。これを造るときには、600億円という多額の予算を付けました。しかし、その後この船を運航するための経費を、文部科学省は用意しているでしょうか。つまり造るのは良いのですが、その後の研究者の人員配置などのロジを軽視しているのです。モノだけをつくって、モノができれば良いという傾向が顕著に見られます。
相変わらずロジはそのうちどうにかなると思っていて、その細かい部分を計画段階から考慮していないのです。これが日本の戦略や、さまざまな行政、政策の大きな問題です。
さらにもう1つ、ニミッツが反省している点があります。この点は非常に重要です。「日本軍の真珠湾攻撃数時間にして、日本船舶に対する無制限潜水艦戦の命令が出されたとき」とあります。つまりアメリカは真珠湾攻撃の後、アメリカ軍の潜水艦に対して、日本の船は無制限に攻撃せよと命令したのです。これに対するニミッツの反応は、「国際公法に従って作戦行動をとるように長い間訓練されていたアメリカの潜水艦乗員は、びっ...