●言葉にも生活の歴史が蓄積されている
例えば、日本人は極めて長く稲作を行っています。その中で、稲の植物を見て「芽が出たな」というときの「芽」と、まなこの「目」は、「ものの最初に出てきたもの=めぶき」ということで、おそらく同じ語彙でしょう。
次に、「葉が出たな」といいますが、「ハ」とは何かから派生したものをいいます。だから、木から派生したものは「葉」です。そして、われわれの口の中にある歯も、身体から派生してきたものとして、「ハ」なのです。その「ハ」を支えるのが、歯「茎」です。これも植物の語彙と一致しています。
さらに、「穂が出た」の「穂」。「ホ」とは「先端にあるもの」という意味があります。身体の中で、先端にあって赤くなったり膨らんだりするのは「頬」です。そして、稲の先端は「稲の穂」、火の先端は「火の穂」、槍の先端は「槍の穂」なのです。さらに、先端で膨らむものということで、顔の中ならば「頬」なのですが、男性器や女性器といった性器についても同じ語彙になり、接尾語の「ト」をつけて「ホト」という言い方があるのです。
私の郷里の福岡を含む九州地域では、濁音にした「ボ」という音を2つ重ねた言葉は男性器や女性器、さらには性交渉を示す言葉となります。私は恥ずかしくて口に出して言うことができませんが……。
いまだに忘れられないのは昔、ブラジルというプロレスラーがいました。彼の名は、ホの濁音を2つ並べた、☆☆(ボボ・)ブラジルだった。ですが、この名前はその地域では使えません。私が小学生のとき、新任の女性の先生をつかまえて、悪ガキがわざとそのことについて質問したりして、それはもう大変な事態になっていました。これは「ホ」という言葉の由来が理由なのです。
大学の講義の中でも、身体呼称を必ず教えなければいけないときがあります。これは避けて通れず、だいたいその話をしなければなりません。ですが、10年たって同窓会などで卒業生と話してみると、彼らが覚えているのはそこだけです(笑)。他はもう全て忘れてしまっていて、教育とは実に空しいものだと思います。
このように、言葉にも生活の歴史が蓄積されている。それが非常に重要なのです。
●人間に生まれた「虚構を信ずる力」
そこで今、「グローバル・ヒストリー」といわれている分野の研究者、さらに民族考古学や文化人類学の分野を担当している人たちも、いわゆる「ドメスティケイション」に注目しています。
ドメスティケイションには2つあります。1つは農耕で、例えば米(稲)や麦をたくさん育てること。もう1つは、牛や豚といった家畜を育てること。この歴史が1万年あるとすれば、それらがどのように展開していくかということが非常に重要となるのです。
ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』では、何が問題になっているかというと、それは、「人間は虚構を信ずる能力を持っている」ということです。
「虚構を信ずる能力」が生まれることによって、例えば貨幣が生まれ、人と人とに信頼が生まれる。「申し訳ないが、1週間後に商売があるから、今その元手を貸してくれ」と言えば、「分かった、1週間後にそのお金を返してくれるのだな」とお金を貸すことがあります。サルにはそういった言語能力もなければ、ネットワークを形成する力もありません。一方、お金を返さない人たちに対する社会的な制裁も当然、生まれる。社会とはそのように生まれるのだ、というのです。
地域ごとに考え方の差は生まれるのだけれども、そのような地域ごとの約束事が統合化されて「文明」が生まれ、さらにはその文明を包み込むような「グローバル(巨大)な文明」が生まれてくるのだ、というのがユヴァル・ノア・ハラリの考え方です。
これは多くの人文学者が薄々は考えていたことです。けれども、なかなか大きなストーリーが描けなかった。そのため、彼の作品は大変なものであることが理解されるようになり、われわれもそれを読んだのです。
その中で極めて大切なのは、いわゆる「虚構を信ずること」。悪く言えば「嘘」です。例えば、誰も神様を見たことがないけれども、いると信じて、みながお金を出し合って寺院をつくる、困っている人のために施薬院という薬を供給する場をつくる、といったことが行われる。一方で、虚構を信ずることによって、われわれは戦争も行うようになる――といった極めてダイナミックな世界思想を描くことに、ユヴァル・ノア・ハラリは成功したのです。
●「大規模農耕の拡大に伴い文明が進展する」という従来の歴史観
私どもも極めて啓発を受けたのですが、そういったグローバルなヒストリーを描くうえでもう一つ忘れてはいけないのが、コリン・タッジの著書『農業は人類の原罪である』(竹内久美子訳、新潮社)です。次のようなこと...