●レーニンの忠実な徒スターリン
―― では、(スターリンは)どういう手を打っていったのかですが、その前に、論者によってはよく、「レーニンまでは良かったが、スターリンで革命の路線が変わってしまった」、「本当にレーニンの路線をスターリンが継承したのか」という疑問を呈する人もいます。そこについて、先生ご自身はどう見ていますか。
福井 「共産主義は本当は良かったのに、スターリンが良くなかった」と言うのは、第二次世界大戦後の左翼の人の定番です。ソ連が崩壊してしまった後のレーニン(の評価)は極めて残酷な人だというものです。しかしスターリンは、われわれが思っているような単に残虐な、パラノイアに取り憑かれた人というよりは、大変な革命家であり、レーニンの忠実な徒であったというのが多くの人が主張する現在の考え方ではないかと思っています。
―― それは外国の研究者の見方がだいたいそちらに行っているということですね。
福井 はい。
―― では、そこを具体的に見ていきたいと思います。これはスターリン自身の言葉ですね。
福井 はい、これから基本的にスターリン自身の言葉を直接使ってご説明したいと思います。
これは、レーニンが亡くなって、スターリンがまだただ1人の独裁者ではない、1925年の段階です。スターリンは、われわれは表向きには平和主義者であり、われわれの旗は「平和の旗」であると言っています。「しかし戦争がはじまれば、手をこまねいているわけにはいかない」ので、当然のり出すと。ただし、最後の最後で、もう資本主義諸国がヘトヘトになって疲れ切ったあとに、最後にのり出すと。最後の「決定的なおもりを」、すなわち、「相手かたを圧倒しうるようなおもりを、なげいれるためにのり出す」ということを、1925年の段階でスターリンは明言しています。
―― これは先ほどのレーニンの見方とまさに軌を一にしています。
福井 そうです。
●自国に潜むスパイへの強い警戒心と戦略的な活用
―― 続いて、次の文章です。「スパイを警戒するスターリン」ということですが、これはどういうことでしょうか。
福井 これはちょうど国内の大粛清を始める直前の1937年の演説です。ブルジョア国家は他のブルジョア国家に当然スパイを送り込んでいます。そうだとすれば、ソ連に送り込んでいないはずがありません。つまり、ソ連国内には大量の資本主義国のスパイがいると言っています。
ではどうするかというと、やはり同じ年に、「すべての党員や、誠実な非党員、ソ連人民」は、「問題点を必ず報告」、いわゆる密告することが「義務である」と言っています。こちらは冷戦後、比較的最近になって明らかになりました。「たとえそのうち5パーセントが本当であったとしても、かなりのことだ」ということで、(仮に党員が100人の場合、その中で)5パーセントの本当のスパイを摘発するためには95人の無実の人間を処刑してもかまわないというようなことを言っているということです。
―― これは普通に考えるとなかなか壮絶な話です。やはり敵を見つけるにはそこまでしなければいけないということですね。
福井 そうです。そのため、疑わしい者は罰します。
―― そういう路線なのですね。現実問題として、この直後の1937年から、大粛清が行われて、非常に多くの犠牲者が出たのは、世界史でも学んだことだと思います。それがこういう論理の下に行われていくのですね。
福井 加えて、当然スターリンからすれば、こちらにもスパイが入っているのであれば、こちらも活用しようとします。これも同じ1937年の段階の発言で、ドニエプル発電所という大きな発電所を建設するのには、何万人も労働者が必要ですが、爆破するのは数十人でオーケーです。そして、戦時に実際の戦闘で勝利するには何軍団も必要です。軍団は師団よりもさらに大きい単位なので、一軍団で数万人です。しかし、前線の敵の軍司令部に数名のスパイがいれば、もう勝つことができるではないかということで、当然こういうことをやっていたということですね。
―― これはつまり、いかにスパイを活用するかを真剣に考え抜いていくということですね。
福井 はい。考え抜いているだけではなくて、実際にやっていたということです。
―― やっていたのですね。
●国家統一を阻むものは誰であっても許さない
福井 はい。先ほど5パーセントであっても一網打尽にするという発言もありましたが、こちらもソ連崩壊後に明らかになりました。1937年11月の革命記念日での、最高幹部だけを集めた内輪のスピーチで、「社会主義国...