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伝説の起業家スティーブ・ジョブズ、その壮絶な人生に迫る

続・シリコンバレー物語~創業者群像と課題(2)スティーブ・ジョブズとApple

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
起業家を超えたスーパースターとして、世界中のビジネスマンにカリスマ的人気を誇ったスティーブ・ジョブズの人生を追う「創業家群像」の第2回目。ユニークなエピソード、ファッション、プレゼンのスタイルで多くの伝説を残したジョブズは、はたしてどのように世界を変えたのか。(全11話中第2話)
時間:10:59
収録日:2021/07/20
追加日:2022/05/17
≪全文≫

●アーティスト? 起業家? スティーブ・ジョブズ


 さて、「シリコンバレー」といったときに、誰もが一番注目する人は、やはりアップルをつくったスティーブ・ジョブズ氏でしょう。シリコンバレーが生んだ、傑出した伝説の起業家といってもいいでしょうか。自分の製品に非常にこだわりを持ち、美しさを追求するので、アーティストのようだといわれる天才事業家です。

 彼はMacintoshに始まり、iPod、iPhone、iPadというMacシリーズを世界にどんどん提供しました。特に2007年に発売したiPhoneという移動端末は世界を変えました。今、世界の人の約7割がこれを持っていると言われます。アプリの搭載希望者も殺到し、200万ぐらいいると言います。

 彼は、とにかく時代を変えたい人でした。あくまでも製品の美しさを追求し、ヒューマンインターフェイスに徹底してこだわる。もうほとんど、これはアートです。Macの信者、Mac信徒やMac教と呼ばれる人が世界中にたくさんいますが、日本には特に多いようです。ところが、彼は志半ばにがん(すい臓がん)で倒れて他界します。しかし、伝説は不滅である。これは皆さん、よく知っている話です。

 もう少し、彼の人生のポイントにいくつか触れたいと思いますが、彼の父親はシリア人で、アブドゥルファター・ジャンダーリという人のようです。母親がアメリカ人で、ジョアン・シーブルという女性ですが、この結婚にはひと悶着もふた悶着もありました。したがって、スティーブは生まれると、すぐに養子に出されます。その養父母が、ポール&クララ・ジョブズというので、それ以降、ジョブズという名前を名乗っているわけです。

 スティーブ氏は実の父親とは死ぬまで一度も会おうとしなかったそうです。ジャンダーリのほうも、息子の成功に便乗していると思われるのがイヤで、息子についてはほとんど語らずに、この世を去ったといわれています。

 6歳の時に小学校に入学したスティーブ氏は、知能検査で並外れた知能を発揮します。13歳でヒューレット・パッカードの社長の自宅に電話をして、「周波数カウンターの部品をください」と言う。社長はしょうがないから(自社の)アルバイトを紹介するようなことがあったようです。ちょっと異能な少年でした。

 1972年にオレゴン州のリード大学に入学します。大学時代は全然勉強しないで、ユダヤ教、キリスト教イスラム教、アニミズム、太陽神、思想、坐禅、ヒッピー文化に心酔し、校内を裸足で歩いていたといわれています。大学に全然興味もないので、やがて中退します。それでは物足りず、導師を求めてインドへ旅行しました。しばらく放浪を続けますが、インドの実態に失望して、アメリカに帰ってきます。


●Appleの起業からMacへ


 そして、1976年にアップルコンピュータを設立する。ですから、その歴史は今から数えて45年ということです。マイクロソフトに次ぐ古さですね。そして翌77年に「Apple 2」という製品を発売し、なかなか高い価格で売り出しますが、売れ行きも好調でした。

 この頃、IBMがPC市場に参入したいというのでマイクロソフトが手伝いますが、Apple 2はだんだん市場シェアを奪われていきます。ジョブズ氏は、これに対して「新製品で対応しなければ」と思い、Apple 2をはるかに超える次世代のPCとして、「Lisa」という特別な女性の名前を冠したプロジェクトを立ち上げます。

 この1979年前後、東海岸の巨大企業であるゼロックスが西海岸に尖った連中を集める自由な研究所を作っていました。これがパロアルト研究所、頭文字を取って「PARC(パルク)」とも呼ばれます。ジョブズ氏がここを見学に訪れたのは伝説になっています。私も、見学に行きました。

 ジョブズ氏がここで非常に印象深く、衝撃を受けたのは、開発中だった「GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)」という方法論でした。画面を見て、使用者とのインターフェイスがいいというのですから、まさにジョブズ氏のためのような言葉です。当時はIBM全盛の時代ですから、パソコンといえばキーボードしかない。キーボード操作でなければパソコンではないというのが、IBMの考え方でした。

 画面に直接手を伸ばして動かせばなんとかなるのは、ユーザーにとっては理想ですから、「これだ」と彼は思ったらしい。その手法をデモしてくれと言いますが、研究者たちは「待て、これは秘密商品だ」と拒否する。それでもさんざん言ってくるので、東海岸のゼロックス本社がOKを出せばと条件をつけると、その場で電話を取ってネゴシエーションする。本社側は何を言われているか分から...
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