●小林秀雄を理解するには近代日本小史から
皆さん、こんにちは。文芸批評家の浜崎洋介です。今回は、吉本隆明あるいは小林秀雄についての講義の第2回目です。いよいよ小林秀雄について少し見ていきたいと思っているわけです。
ただ、先にこれも結論から言っておきますが、小林秀雄は「近代批評の祖」とか、「近代文芸批評の父」とか、そのようにいわれることが多いのですが、重要なのは、彼が昭和初期に登場してきていることなのです。
実は前回の講義の中で二葉亭四迷の話を少ししましたが、彼は明治20年代に出てくるのです。それで言文一致をつくって、日本の近代小説の父になっていくわけです。ただ、小林秀雄は「近代批評の祖」といわれながら、なぜか昭和なのです。これは実は意味があると私は思っています。というのは、昭和にならないと出てこない問題があったからだといえるかと思います。
ということは、小林秀雄の言っていること、あるいはやっていることを理解するためには、ちょっと日本近代史をさらっておく必要があるし、たぶんそちらのほうが小林秀雄の言っていることが分かりやすいと思います。それでちょっと今回は、「近代日本小史」と名づけて少し議論をしていきたいなと思っています。
まず見ておきたいのは、明治維新からということになります。これは本当に簡単にまとめるしかないのですが、薩摩と長州による尊王倒幕思想があったということはもう皆さんご存じだと思います。最初は尊王攘夷だったのです。攘夷ということは外国を打ち払うということなのですが、これが薩摩と長州が逆に負けることによって、尊王攘夷ではなく、攘夷はできないから、倒幕をして、その限りにおいて私たちの政府をつくり上げ、日本を西洋近代化してより強くするということに舵を切るのです。
つまり彼らは、日本の独立を守るために、西洋近代化をしなければならないのだということを語り出します。しかし、これは非常にアイロニカルです。つまり日本の独立ということは、日本ということが主語なのですが、そのためになんと西洋化するということですから、非常に矛盾に満ちた、そのような作業をせざるを得なかったのです。
これを「和魂洋才」と当時言ったわけです。これは幕末の思想家である佐久間象山という人が言ったわけですが、そういう矛盾を強いられることになります。これを使い分けていたのです。明治の頃まではこれを使い分けることができていたと言ってもいいかもしれません。
分かりやすいところでいうと、「和魂」はまさに天皇制(のため)と、あえて言いましょう。(天皇制は)天皇を中心とした制度ですから、その国体を守るといったところに和魂を利用するわけです。
実際、「一身独立して、一国独立す」と語ったのは福沢諭吉ですが、その福沢諭吉のこの言葉を支えている背後には、もちろん儒教的な思想、あるいは武士道というものがあります。そして、その武士道を鍛え上げてきた日本の歴史というものがありますから、ある種の和魂といっていいでしょう。その和魂によって一身独立し、それで一国が独立するということです。その限りにおいて天皇に対して、あるいは国体に対しての忠誠を誓う。ここにおいて倫理をつくり上げるわけです。
一方で、しかしながら「洋才」が展開していくことになります。これが「文明開化」という言葉で語られるわけです。簡単にいうと、西洋近代によって持ち来たらされた文明開化的なもの、あるいは資本主義です。その資本主義によって世界をより豊かにしていこうという話なのですが、資本主義というのは皆さんご存じの通り個人化します。
つまり、共同体というよりは、Aさん、Bさん、Cさんを独立させて、それによって契約社会をつくり、そして物と物をやりとりしますから、だんだんこれが加速すると共同体的な原理が掘り崩されることになるのです。
●大正から昭和にかけての激動で何が変わったか
実際に、簡単な例だけいいましょう。中央集権化して明治維新をすると、地方から東京にやってくるわけです。これが個人、個人、個人になってきて競争社会をつくり上げます。ということは、この個人たちはまさに故郷を抜け出してきているわけですから、もう共同体の後ろ盾を持っていません。と同時に、共同体からは、あるいは故郷からは、優秀な人間が抜け出ていくということになりますから、実は共同体自体が回っていかないということにもなるわけです。
しかも、それによって資本主義が活性化すると、まさに近代物質文明というものが出てきます。つまり、あれが欲しい、これが欲しい、あれが便利、それが便利ということになりますから、ある種のエゴイズムというものも出てくるでしょうし、その自己拡大というものが出て...