●政治は命がけか、政界は汚れた世界か――最初はジャーナリスト志望
皆さん、こんにちは。衆議院議員の野田佳彦でございます。
私は1976年に県立船橋高校から(早稲田大学)政治経済学部政治学科に入らせていただきました。そして、1980年に大変優秀な成績で卒業をした、友達がいます(笑)。
その後、松下政経塾に第1期生として入塾しました。今日は、短い期間ではありますが内閣総理大臣を経験させていただいて、その時に意識をしたこと、この国をどうやって経営するのかについて心がけたことを中心にお話をさせていただきたいと思います。
まずその前に、若干の自己紹介を兼ねて、なぜ早稲田大学に入り、なぜ松下政経塾に入ったかというところから、少しイントロで始めさせていただきたいと思います。
私は、生まれたのが1957年5月20日です。1955年が、いわゆる「55年体制」の始まりです。保守合同で自由民主党ができ、そして社会党も左派と右派が統一をしたというところから、38年間続く55年体制下のときに生まれたのです。
幼時体験で鮮烈に覚えていることとして、1960年に浅沼稲次郎が日比谷公会堂で右翼の少年に刺されるというシーンが、白黒のテレビでずっと流れていました。私は、亡くなった母に「なんでこのおじさんは亡くなったの?殺されたの?」と訊いたのです。3歳半の時です。すると、「政治は命がけなんだ」と言われた記憶がある。そして、保育園に通っていた時にはジョン・F・ケネディの暗殺があったのです。「政治というものは怖いのだな。命がけなのだな」というのが、幼児期にインプットされた強烈なイメージだったのです。
ところが、小学校、中学校、高校と地元・船橋で育っていくと、「金権風土・千葉」などといわれていまして、すごくお金をかける選挙をたくさん行っているのです。例えば、宇野亨という銚子のほう(千葉2区)の衆議院議員は2億5000万円の買収をして、約300人が逮捕されるなどということがありました。政治は命がけとい...