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火箸で考える…「空」は奪う教え、「縁起」は与える教え

禅とは何か~禅と仏教の心(5)空と縁起

藤田一照
曹洞宗僧侶
概要・テキスト
火箸を通して縁起を説明するのが一照師のやり方だ。囲炉裏に刺された火箸は、使い方によっては武器にも孫の手にも、さらには筆記用具にもなる。どんなものも使い手の行為と無関係ではないということだ。人間も同様で、さまざまな役割をはぎ取った真の私は存在しない。それが縁起の世界観であり、はぎ取るのが「空」、与えるのが「縁起」。仏教用語では「掃蕩門」と「建立門」にあたるその意味について解説する。(全7話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:35
収録日:2024/08/09
追加日:2025/02/10
カテゴリー:
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≪全文≫

●「火箸」は何に使えるか、関係性で縁起を理解


藤田 「空」の話が出たからいいますが、例えば火箸、これを火箸だと私たちは思っていますが、置いていたら火箸ではない。私がこれをこうするから火箸になっているわけで、私の行為抜きに無関係に火箸があるのではない。例えば、もし私がこれをこうやって(突くまね)したら……。

―― 武器になってしまいますね。

藤田 武器になってしまうし、こうやって(背中を)掻いたら何?

―― 孫の手になりますね。

藤田 孫の手になる。そして、こうして字を書いたら、ほら、筆記用具になるわけです。

―― はい。

藤田 そのように、これを火箸にしているのは、私の行為と無関係ではないわけですよね。こういうことが、縁起的な理解の仕方です。

 それで「火箸さ」というか「火箸性」はこれ(=火箸)にあるわけではなく、私の行為がそれを生みだしている。こういうのは関係の中で生まれてくるわけじゃないですか。置いてしまうと、これは何物でもないし、美術品でもいいわけです。

―― そうですね。

藤田 そうです。例えば骨董品屋さんが来て「これはいくらぐらい」と値踏みすればそういうものだし、私は「これはどこで買ったのだろう」と思ったりする。関係次第で全く違うものになる。そういうことを抜きに、これが単独で「火箸している」わけではない、「火箸である」わけではないという理解の仕方ができるわけです。


●私はどんな存在か。役割を奪い、与える「空と縁起」


藤田 さらに、それは火箸の話に留まらず、自分自身に関しても同じように考えていける。

―― 会社の中で働いていれば会社員だけれど、よく言われるように、例えば子どもがいれば、父親なり母親になると。

藤田 そうです。

―― 全然役割が違うではないか、と。

藤田 そうです。ですから、それらと別に、そういうものとはいっさい関係のない「私」みたいなものがコロッとあるわけではないのです。どれも私だし、どれも全てではない。そういう見方を自分にもしないといけないし、人にもしないといけない。そういうのが空という考え方であり、空は否定的な側面をいっていて、「縁起」はその肯定的な側面です。「そういうあり方で、あなたがある」というような言い方ですね。

 だから、空は奪うための道具で、縁起は与えるための道具。

―― そこが違うわけですか。「...
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