●日本の対中東関係の二面性を明白にしたIS事件
皆さん、こんにちは。
今の「イスラム国(IS)」と日本の関わりは大事な問題ですので、今日も引き続き考えてみたいと思います。
新年が明けて2015年1月に、後藤健二さん、湯川遥菜さんが殺害されるという、大変忌まわしい事件が起こりました。これによって、日本の中東への関与は変化しました。これまでのように「中東で愛される日本」といった建前と、欧米と違って自分たちだけは安全だという安心立命の境地だけではなく、「中東のテロリストに憎まれる日本」という本音、そして警戒心の要素も併せて持つようになったのです。
この二面性をはっきりと認識することが、今のような暴力やテロの蔓延する時代に生きていく者たちの務めになるでしょう。
もちろん前回お話しした通り、中東の一般市民の間には、日本に対する好感度も信頼感もあります。しかし、それに対する信頼と重ねて、ISのようなテロリズムによる暴力革命(者)を宥和できるかと考えるのは幻想に過ぎません。私たち日本人も、残念ながらそのことを悟らなければなりません。
●正統カリフのアリーを殺した「ハワーリジュ派」
ここで紹介したいのは、7世紀の初期イスラームに生まれた「ハワーリジュ派」と呼ばれるグループです。ハワーリジュはハーリジーという言葉の複数形で、共同体の「外に出て行く(行った)者たち」を意味します。
彼らは、どういう存在であったか。正統カリフ4代目のアリーが、敵対するムアーウィヤ(後にウマイヤ朝の初代指導者として、カリフを世襲)との間で不必要な妥協を行った時に、これを間違いであるとし、カリフといえども間違いを犯せば許されないという理屈から、アリーを暗殺する挙に出た一派でした。
徹底して極端なハワーリジュ派は、自分たちと同調して一緒に行動しない者たちを、ムスリムとはいえない不信仰者(カーフィル)と見なします。またその場合、本人だけでなく妻子や家族を共々殺害しても、イスラム法には問われないと考える。そのような極端な結論に達したのが、ハワーリジュ派と呼ばれる人たちでした。
ある時、ハワーリジュ派は、アラビア半島の砂漠を横切って旅をする敬虔な老ムスリムと出会います。若い妻を連れての移動中で、妻はお腹の中に子どもを身ごもっていました。ハワーリジュ派と問答を交わした結果、老信徒は当然のことですが、「敬虔なムスリムとして、ハワーリジュの考え方には賛成できない」と、自分の考えを述べました。ハワーリジュ派は敬虔な老人と若い妻、さらに体内にいた新しい生命をも併せて殺すという挙に及びました。
●ISの残虐な処刑をハワーリジュ派が見たならば
このように、ハワーリジュ派は自分たちに属さないと思しき人間に出会うと、すぐに意見聴取を要求しました。そして相手が「ハワーリジュを支持する」という答えを返さず、単に「自分はムスリム(イスラム教徒)である」との答えであれば即座に殺害するという過激な行為に出たのです。
ハワーリジュ派のグループは、誰もそうした行為に疑問を感じませんでした。彼らは、重大な罪を犯したものは、カリフのアリーでさえそうであるように、信仰を失った背教者であると考える。背教者・不信仰者となった者に対しては死をもって罰するのが当然だとうそぶいたのです。
今もし7世紀のハワーリジュ派が現代によみがえり、ISによる後藤さんや湯川さんへの残虐な処刑やヨルダン空軍のカサースィベ中尉を炎で殺害したむごい光景を見たとすれば、彼らはISについて次のように述べるかもしれません。
「彼らこそ真のハワーリジュだ。われわれは、もはやハワーリジュではない」
つまりISの行為は7世紀のハワーリジュ派以上であり、これまでイスラム史に現れた中でも特筆すべき、むごい集団による行為だと言わなければなりません。アルカイダと並んで、あるいはそれ以上に凶暴なカテゴリーに属することは否定できません。彼らを見て一番驚くのは、殺戮や殺人という行為に嗜虐的な喜びさえ感じているように映ることです。それをフィルムや音楽とともに世界中に流し、そのことによって善男善女を威嚇しています。
●火獄を連想させ、死生観を否定する焚殺の光景
ハワーリジュ派はかつて7世紀に、確かにアラビア半島の住民を恐怖のどん底に陥れました。普通に生活している、何の罪科もない住民たちが、ハワーリジュでないという理由だけで彼らのテロに遭ったわけです。しかし、そのようなハワーリジュ派でさえ、カサースィベ中尉を焼き殺そうとするような行為をとろうとは思わなかったに違いありません。
焼殺あるいは焚殺というべき行為が何を連想させるか。それは、イスラームにおける最大の悪しき光景というべき姿、すなわち不信...
(ウジェーヌ・ドラクロワ、1840年作)