●国際的裁判と条約での被当事国不在から始まった日本の戦後
ご存知のとおり、いまは尖閣の領有権を巡って、あるいは歴史認識も、とにかく日中は険悪な雰囲気です。首脳会談もいつやれるか分からない。尖閣問題は単に漁船や工船が出て行くだけでなく下手をすれば軍事衝突の危険性もある。一体なぜそうなのか。これには、実は日中の戦後の非常に不幸な歴史があるわけです。
それはどういうことかと言いますと、例えば、東京裁判がありました。そのときには、いまの中華人民共和国ができていないから、参加していないわけです。つまり、あれだけの戦争があったときの主体は中華人民共和国、共産党政権ではなくて、台湾に逃れて行った国民党だったわけですから、数百万人の人間が向こうに出て行っているわけです。
それから、戦後の日本の世界における立場を規定する1951年のサンフランシスコ講和条約ですが、ここにも中華人民共和国は出席していないのです。このときはソ連も出ていません。なぜならば、中華人民共和国は既にその段階では建国宣言していますが、まだ国連が国家として認めていなかったものですから、イギリスだけは認めていましたが、ソ連も認めていませんでした。
それから、韓国はどうかというと、韓国は当時、日本の植民地、属国であったからという理由で、サンフランシスコ講和条約への参加が許されていないのです。
つまり、日本の戦後というのは、日本が本当に何事かをした中国大陸や朝鮮半島で、その被当事者である韓国政府や中国、大陸の人は呼ばれていなかったという歪な構造で、まず日本の戦後がスタートしたということが大前提にあります。
●歴史認識不問のまま国交正常化を進めた日中の事情
それで、中国と日本が国交正常化するのは、実に1972年ですから、戦争が終わってから26年間も経ってしまっている。そうしますと、一体何が起こるかということなのです。つまり、戦争をやった。しかし、その結果、和解まで26年も経っていると、一体あのときに何をやったのか、どういうことがあったのかということをまったく不問のまま、凍結状態のまま国交正常化するという不幸があるわけです。
日本から見れば1972年は高度成長期、オイルショックもくぐりぬけて、いまや世界の経済力はドイツに次いで第3位、2位を窺うような巨大な経済国家としてテイクオフを完全に始めている。戦争の傷などはとっくに忘れている。
しかし、中国は戦争が終わったあとに国民党とのいわゆる国共内戦を経て独立するのが1947年ですから、そこから内部の権力闘争があったり、文革や大飢饉があったりと、大混乱した。つまり、中国は独立して新しい国家になっていても、内紛状態だったのです。
他方、日本は世界もうらやむ経済大国。それが和解して「国交正常化しましょう」と言っても、力の差が圧倒的なのです。そうすると、日本から見れば経済的に有利なものですから、「中国で犯した罪よりも経済で援助する」「我々の潤沢なお金や技術を持ち込むことによって免責されるんだ」と言ってしまったのです。
また、そのときの中国からしてみれば、ようやくなんとか世界と国交が正常化できる時代ですから、戦争の傷痕に触れるよりも、1円でも経済援助、円借款、ドル借款が貰える、経済の技術援助をしてもらえるということを大急ぎでやってしまった。つまり、25年の空白というのは決定的なのです。
●中国の経済発展によって噴出した歴史認識問題
それが、中国の経済の力がだんだん付いてくるに従って、「いままで我々は何をされたんだ」という自覚が国民のなかに出てくる。
他方、日本は「世界のなかの日本」ということになってくるから、アメリカや諸外国から「日本は非常にひどいことをした」と責められていたのが、むしろ「日本に見習え」という言葉が出てくるわけですから、当然そこに、新しい中国と戦後の日本の行き違いになるようなことが出てくる。
そうすると、世界中が「Look Japan」「日本に見習え」と言っているときに、「見習いたくない」「見習う前に解決することがあるだろ」という国が、韓国や中国だったわけです。日本の高度成長にとって、「世界のなかの日本」「尊敬される日本」にとって、日本を批判する国、ひどいことをされたと言っている中国と韓国の二つの国とはなるべく付き合いたくない。そこから批判されるのは嫌だということがあり、それよりも我々は新しい歴史、「我々は侵略者だけではなかった」とか「アジアの独...