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DATE/ 2018.03.22

若年層にも広がる腰痛…その意外な原因とは?

 日本人の死因のトップ3は、がん、心疾患、肺炎であることは、よくご存知のとおりですが、死に至る病ではなくても、時には「死にそう」とまで多くの人を悩まされているのが「腰痛」です。日本人の90パーセント以上が一生に一度は腰痛を経験し、慢性的に腰痛に悩まされている人も多数います。腰痛は、単なる腰の痛みと捉えるのではなく、全身の健康に深く関わっていることを知ると、まさに腰痛は日本人のQOL(生活の質)を脅かしかねない国民病の一つと言えるでしょう。

腰痛治療で注目される対話効果

 最近では、腰痛に対する考え方が大きく変化し、それに伴い治療法もさまざまに進化している、と語るのは福島県立医科大学理事長兼学長の菊地臣一氏です。菊池氏によれば、治療の変化の第一はEBM(根拠に基づいた医療)の導入にあります。つまり、患者のデータを定量化する臨床疫学の手法に基づいて結論を導きだすのです。

 さらに、EMBだけでは不十分ということで重視されてきているのがNBM、対話に重きをおく医療です。NBMとはNarrative-based Medicineの略。患者の感情や個人的、社会的環境も症状に深く関係しているという観点から、患者との対話を通して治療に生かそうとする手法です。

 本来、薬効成分のない薬を投与しても病気がよくなったり、あるいは治ったりする「プラシーボ(偽薬)効果」ということばを聞いたことがあるかもしれませんが、これは「病は気から」の積極活用。NBMは、数字やデータだけでは読み取れない部分を患者と医師の対話によりすくいとり、治療に結びつけているのです。

腰痛の原因は、意外なところに潜んでいる

 このようなNBMへの着目の背景には、腰痛がいわゆる「脊椎の障害」を原因とするものだけではなく、心理的、あるいは社会的因子が深く関係した症状であるという認識が一般的になってきたことが挙げられます。すなわち、人間関係のトラブルを抱えている、職場でのストレスが大きい、仕事上のプレッシャーが半端でない等々、一見、脊椎の異常とは関係がなさそうな因子が、腰痛を引き起こしているケースが実は非常に多いということが分かってきました。

 心的、社会的な要因が関与しているというのは、高齢者だけでなく若年層にも腰痛を訴える人が多いこと、しかも「ぎっくり腰」のような急性の症状だけでなく、3ケ月以上続く慢性症状、なかには「腰痛歴○年」と長期の症状を抱えている若者が増えていることでも明らかです。

作家・夏樹静子の地獄の痛みはいかにして消え去ったのか

 ここで思い出されるのが、作家・夏樹静子氏の腰痛体験です。『Wの悲劇』などのミステリー作家として知られる夏樹氏は数々のヒット作を生みだす一方で、ひどい腰痛に悩まされていました。年々ひどくなる腰痛をなんとかしたいと、病院を渡り歩き、整形外科で埒があかないならと、試した治療法は漢方薬、鍼灸に温灸、水泳療法に音響療法、断食法。さらには霊媒師にみてもらったことさえあったそうです。それでも、原因不明の腰痛がよくなることはなく、立っても座っても、寝ていても激しい痛みが襲ってくる。最後にかかった心療内科で医師との対話を重ねたなかで、言い渡された言葉は「夏樹静子を捨てなさい。夏樹静子の葬式を出しましょう」でした。

 長年の締切に追われる生活や、前作よりもっと良い作品をと求め続けられる人気作家ゆえの、内的な抑圧が「地獄の苦しみ」とまで表現される腰痛として、3年間夏樹氏を苦しめていたのです。結果、「夏樹静子」を捨て、解放されることで、その腰痛はうそのように消えたと言います。腰痛は、夏樹氏の心、脳が作り出しているものだったのです。

 夏樹氏の例はかなり極端なケースかもしれませんが、社会生活を営む以上、誰しもその環境にさまざまな影響を受けることは必須。学生から社会人となり、新たな人間関係や仕事のうずに巻きこまれていくことで、今まで経験したことのなかった腰痛に悩む若い方もいるかもしれません。もとより、腰痛の元凶は多種多様です。「なかなか治らない。何が原因か分からない」と思ったら、整形外科だけではなく、内科や脳神経外科、心療内科受診という選択も視野にいれた方がよさそうです。

<参考文献>
・『腰痛放浪記 椅子がこわい』(夏樹静子著、新潮社)
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今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授