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意外に知らない「東京都下」の実態
「東京都下」もしくは「都下」とは、東京都のうちで23区を除いた市町村のことをいいます。
東京都が公表している「都内区市町村マップ」によると、2018年3月1日現在データで東京都の区市町村は23区・26市・5町・8村となっていますので、半数以上の39の市町村が「東京都下」の対象となります。
今回は、地方在住の方はもとより、都内在住者も意外に知らない「東京都下」の実態について、探ってみたいと思います。
ではどうして、神奈川県に属していた三多摩が、東京府に移管されたのでしょうか。「都史紀要15 水道問題と三多摩編入」などにも記載されているように、移管の背景には東京の飲み水である玉川上水の水源管理のためという、いわゆる“東京都の水道問題”があったともいわれていますが、それ以上の大きな理由として、政治問題があったといわれています。
『多摩百年のあゆみ』によると、移管の前年の1892(明治25)年に行われた第2回総選挙で、当時自由民権運動が盛んであった三多摩において、反政府党の自由党が政府の干渉を跳ね返して2議席を独占したことに端を発しているようです。その結果、選挙干渉の責任者であった当時の神奈川県知事・内海忠勝は罷免を要求され、「自分を追放しようというのなら、逆に三多摩自由党のほうを神奈川県から追放してしまおう」とばかりに、三多摩の移管を提案します。
その提案を受けた政府が、1893(明治26)年2月18日に、移管法案を国会に提出しました。地元では猛烈な反対運動が起こったり、一方では移管賛成派も北多摩を中心に相当の勢力があったりしましたが、提案からわずか10日間の短い審議の後、2月28日に法案は通ってしまいます。このように、三多摩移管には「自由党つぶし」という、政治的な意図が含まれていたと考えられています。
そのうちの伊豆諸島は、『日本書紀』に明記されるほどの昔から、その名の通り「伊豆国(現在の静岡県)」に属していましたが、江戸時代になると全島が幕府直轄地の天領となり、経済や生活において江戸地域とより密接につながることになります。明治に入ってからは所管が転々と変わりましたが、1876(明治9)年の静岡県編入を経て、1878(明治11)年に東京府に移管されました。
「伊豆七島移管関係文書」によると、伊豆諸島が東京府に移管された理由については、当時の内務卿・大久保利通が、太政大臣・三条実美にあてた上申書において、伊豆諸島の裁判事務が東京裁判所へ帰属したことから行政事務を円滑に遂行するためや交通の利便性から、“移管は静岡県と島民の双方にメリットがある”と述べています。
その後、1943(昭和18)年に都政実施により、東京都の一部となります。しかし、太平洋戦争終戦翌年の1946(昭和21)年1月29日、占領政策の一貫としてのGHQの覚書によって、伊豆諸島は日本から行政分離されてしまいます。
ただし、覚書の中の「伊豆南方」という表記が該当となる島の特定に波紋を呼んだことや、東京都等の復帰に向けた働きかけによって、同年3月22日にはGHQの指令が修正され、伊豆諸島は日本に復帰します。しかし行政分離の53日間の政治空白の中で、伊豆大島では島民主導で全23条からなる「暫定憲法」の草案を作成するなど、先駆的な試みが行われることとなりました(『伊豆諸島を知る事典』)。
例えば、上述した伊豆諸島では、火山島としての景勝地や遺跡、伝統文化や椿・大島桜などの自然を楽しめます。一方、小笠原諸島は、動植物の固有種がきわめて多く、“東洋のガラパゴス”と称され、「世界自然遺産」にも登録されています。これらの島嶼部では、豊かな自然を観察・体験し、マリンスポーツを体感することができるため、近年、観光スポットとして新たな人気が高まっています。
他方、八王子市の南西端にある高尾山は、自然美に恵まれた都心に間近な深山幽谷です。京王線でのアクセスが便利で登山ケーブルカーもあるため、世界的にも珍しく、都心から日帰りで自然公園法に基づく特別保護地区の自然を満喫することができます。ほかにも、「名水百選」の“お鷹の道・真姿(ますがた)の池湧水群”を有し、江戸時代中期の新田開発から約300年にわたって、市内全域で農業が行われている国分寺市では、地元野菜「こくベジ」の直売所や飲食店が多数あり、体の中からリフレッシュすることができます。
そして、住宅事情が厳しい東京都にあって、1Kの家賃相場は23区内では6~7万円台、23区外でも5万円台が多いといわれていますが、青梅市:4.04万円、武蔵村山市:4.22万円、羽村市:4.74万円、あきる野市:4.82万円というように、4万円台の地域もあり、魅力的です。ちなみに、東京都内で最も家賃相場が高いエリアは千代田区で、1Kで11.50万円といわれていますので、一番安い青梅市とは約3倍の違いとなります。
いかがでしたでしょうか。意外な「東京都下」の魅力は、まだまだたくさんあります。興味を持たれた地域がありましたら、ぜひ一度訪れてみてください。そして、気の向くままに巡ってみてください。
東京都が公表している「都内区市町村マップ」によると、2018年3月1日現在データで東京都の区市町村は23区・26市・5町・8村となっていますので、半数以上の39の市町村が「東京都下」の対象となります。
今回は、地方在住の方はもとより、都内在住者も意外に知らない「東京都下」の実態について、探ってみたいと思います。
東京拡張最大事件・神奈川県からの「三多摩」移管
現在、「東京都下」といわれて思い至る人の多くは、多摩地区や「三多摩」地域を連想する人が多いのではないでしょうか。三多摩とは東京都西部一帯を指し、具体的には西多摩・北多摩・南多摩の旧3郡に属していた地域の総称をいいます。1871(明治4)年の関東新県の設置の際、三多摩の大半は神奈川県に編入されました。しかし、1893(明治26)年4月1日に東京府へ移管されます。この出来事を「都史紀要15 水道問題と三多摩編入」では、「東京府の府域拡張の歴史の上で一番大きな事件であったと言ってよい」と述べています。ではどうして、神奈川県に属していた三多摩が、東京府に移管されたのでしょうか。「都史紀要15 水道問題と三多摩編入」などにも記載されているように、移管の背景には東京の飲み水である玉川上水の水源管理のためという、いわゆる“東京都の水道問題”があったともいわれていますが、それ以上の大きな理由として、政治問題があったといわれています。
『多摩百年のあゆみ』によると、移管の前年の1892(明治25)年に行われた第2回総選挙で、当時自由民権運動が盛んであった三多摩において、反政府党の自由党が政府の干渉を跳ね返して2議席を独占したことに端を発しているようです。その結果、選挙干渉の責任者であった当時の神奈川県知事・内海忠勝は罷免を要求され、「自分を追放しようというのなら、逆に三多摩自由党のほうを神奈川県から追放してしまおう」とばかりに、三多摩の移管を提案します。
その提案を受けた政府が、1893(明治26)年2月18日に、移管法案を国会に提出しました。地元では猛烈な反対運動が起こったり、一方では移管賛成派も北多摩を中心に相当の勢力があったりしましたが、提案からわずか10日間の短い審議の後、2月28日に法案は通ってしまいます。このように、三多摩移管には「自由党つぶし」という、政治的な意図が含まれていたと考えられています。
所管流転と53日間の政治空白を経た「伊豆諸島」
三多摩以外の「東京都下」に、島嶼部があります。さらに都下の島嶼部は、「伊豆諸島」と「小笠原諸島」に分けられます。そのうちの伊豆諸島は、『日本書紀』に明記されるほどの昔から、その名の通り「伊豆国(現在の静岡県)」に属していましたが、江戸時代になると全島が幕府直轄地の天領となり、経済や生活において江戸地域とより密接につながることになります。明治に入ってからは所管が転々と変わりましたが、1876(明治9)年の静岡県編入を経て、1878(明治11)年に東京府に移管されました。
「伊豆七島移管関係文書」によると、伊豆諸島が東京府に移管された理由については、当時の内務卿・大久保利通が、太政大臣・三条実美にあてた上申書において、伊豆諸島の裁判事務が東京裁判所へ帰属したことから行政事務を円滑に遂行するためや交通の利便性から、“移管は静岡県と島民の双方にメリットがある”と述べています。
その後、1943(昭和18)年に都政実施により、東京都の一部となります。しかし、太平洋戦争終戦翌年の1946(昭和21)年1月29日、占領政策の一貫としてのGHQの覚書によって、伊豆諸島は日本から行政分離されてしまいます。
ただし、覚書の中の「伊豆南方」という表記が該当となる島の特定に波紋を呼んだことや、東京都等の復帰に向けた働きかけによって、同年3月22日にはGHQの指令が修正され、伊豆諸島は日本に復帰します。しかし行政分離の53日間の政治空白の中で、伊豆大島では島民主導で全23条からなる「暫定憲法」の草案を作成するなど、先駆的な試みが行われることとなりました(『伊豆諸島を知る事典』)。
「東京都下」には多様な側面と魅力がたくさん
ほかにも、「東京都下」には多様な側面があり、さまざまな魅力があります。例えば、上述した伊豆諸島では、火山島としての景勝地や遺跡、伝統文化や椿・大島桜などの自然を楽しめます。一方、小笠原諸島は、動植物の固有種がきわめて多く、“東洋のガラパゴス”と称され、「世界自然遺産」にも登録されています。これらの島嶼部では、豊かな自然を観察・体験し、マリンスポーツを体感することができるため、近年、観光スポットとして新たな人気が高まっています。
他方、八王子市の南西端にある高尾山は、自然美に恵まれた都心に間近な深山幽谷です。京王線でのアクセスが便利で登山ケーブルカーもあるため、世界的にも珍しく、都心から日帰りで自然公園法に基づく特別保護地区の自然を満喫することができます。ほかにも、「名水百選」の“お鷹の道・真姿(ますがた)の池湧水群”を有し、江戸時代中期の新田開発から約300年にわたって、市内全域で農業が行われている国分寺市では、地元野菜「こくベジ」の直売所や飲食店が多数あり、体の中からリフレッシュすることができます。
そして、住宅事情が厳しい東京都にあって、1Kの家賃相場は23区内では6~7万円台、23区外でも5万円台が多いといわれていますが、青梅市:4.04万円、武蔵村山市:4.22万円、羽村市:4.74万円、あきる野市:4.82万円というように、4万円台の地域もあり、魅力的です。ちなみに、東京都内で最も家賃相場が高いエリアは千代田区で、1Kで11.50万円といわれていますので、一番安い青梅市とは約3倍の違いとなります。
いかがでしたでしょうか。意外な「東京都下」の魅力は、まだまだたくさんあります。興味を持たれた地域がありましたら、ぜひ一度訪れてみてください。そして、気の向くままに巡ってみてください。
<参考文献・参考サイト>
・「三多摩」、『世界大百科事典』(平凡社)
・「伊豆諸島」、『世界大百科事典』(平凡社)
・「小笠原諸島」、『デジタル大辞泉』(小学館)
・「高尾山」、『日本大百科全書』(小学館)
・「お鷹の道・真姿(ますがた)の池湧水群」、『デジタル大辞泉プラス』(小学館)
・『多摩百年のあゆみ』(多摩百年史研究会編著、けやき出版)
・『伊豆諸島を知る事典』(樋口秀司編、東京堂出版)
・都内区市町村マップ|東京都
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/tokyoto/profile/gaiyo/kushichoson.html
・都史紀要15 水道問題と三多摩編入
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0604t_kiyo15.htm
・伊豆七島移管関係文書~web版公文書館の書庫から
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0701syoko_kara05.htm
・国分寺三百年野菜「こくベジ」
http://www.kokuvege.jp/
・東京の1Kマンション・アパートの家賃相場はいくら?
https://iedoki.jp/navi/1k-yachin-tokyo/#1404
・「三多摩」、『世界大百科事典』(平凡社)
・「伊豆諸島」、『世界大百科事典』(平凡社)
・「小笠原諸島」、『デジタル大辞泉』(小学館)
・「高尾山」、『日本大百科全書』(小学館)
・「お鷹の道・真姿(ますがた)の池湧水群」、『デジタル大辞泉プラス』(小学館)
・『多摩百年のあゆみ』(多摩百年史研究会編著、けやき出版)
・『伊豆諸島を知る事典』(樋口秀司編、東京堂出版)
・都内区市町村マップ|東京都
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/tokyoto/profile/gaiyo/kushichoson.html
・都史紀要15 水道問題と三多摩編入
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0604t_kiyo15.htm
・伊豆七島移管関係文書~web版公文書館の書庫から
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0701syoko_kara05.htm
・国分寺三百年野菜「こくベジ」
http://www.kokuvege.jp/
・東京の1Kマンション・アパートの家賃相場はいくら?
https://iedoki.jp/navi/1k-yachin-tokyo/#1404
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